■腸あわき
増田まさみ句集『ユキノチクモリ』
・・・関悦史
マイナスの心情を基調に、身体をひとつの次元変換機として肉親や郷里の風土を素材として引き込み、内界と外界を一繋がりの平面としつつ、そこに繰り広げられる幻想を寡黙に提示する。増田まさみが昨年出した第四句集『ユキノチクモリ』の世界を大まかにまとめればそういったことになる。
《『ユキノチクモリ』は「雪のち曇り」である。私の生まれ育った山陰の鳥取は、かつて「裏日本」と呼ばれ、その近海は「裏海」と呼ばれた。(中略)いまもって私の身体感覚や思考に色濃く作用するのは、雪と雨に閉ざされた《窓》を挟んで内外に畳まれ展げられる景色であり、創造も日々の営為も、いわばそこに圧縮された内なるエネルギーによって支えられている。》(あとがき)
ただしこの圧縮された内なるエネルギーの現れ方にいささか特徴がある。家族や郷里を素材にするといっても西川徹郎のような果てしない悲憤の狂奔があるわけでもなく、宇宙を内界に収めこんでしまう河原枇杷男のような完成された(それゆえに展開のしようもない)存在論的転換へ向かうわけでもない。あとがきにはさらに続けて阪神淡路大震災による被災やその後の歳月での肉親との別れが語られてもいるのだが、それら実生活次元の素材がなまの形で出てくるわけでもない。呪詛や否定が外に向かって発散されず、一見至極静かに、消え入りそうな低熱量で並ぶさまは林田紀音夫を思わせもするが、悲観を一枚の情景・場面にまとめ、淡々とて提示していった結果として、むしろある頑迷さに近い強い否定性が立ち現れてくる紀音夫とも違う。
Qと啼き貝は神代へ沈みける
戦争に負けた守宮を捨てませう
これら国家や神話に繋がる要素が現れた句もあるにはあるが例外的。「Q」と疑問とも擬音ともつかない啼き声を残して現在をあとにしてしまう貝や、戦争に負けるという国家規模の災厄のなかでの一家の生活史もろとも家を守れきれなかった責めを負わされてしまう守宮、これらの小さな生き物は句集に一貫して現れるモチーフで、それらは概ね語り手と同格の知友のようなものか、あるいは語り手の心身を託された分身に近い。ここでの「捨てませう」には責任転嫁よりも自責の念に近い哀しみが潜むし、沈んでいく貝にも遁世への思いが感じられる。ただそうした、ありふれたといえばありふれた制作動機を句として具体化するにあたり、案外この作者は枇杷男や紀音夫よりも俳句定型の中の技や力にすんなり従ってみせることにより、立体化へ向かうバネを獲得しているのではないか。二句目は意味が通りすぎるきらいがなくもないが、一句目の「Q」「啼く貝」「神代」といった離れたイメージの並列が持つ断層を最後の「ける」にまとめこんでしまうあたりにはそういったことが感じられる。
没落を祝う石臼晴れわたり
おもいでに静脈の浮く春の水
投網や母を掬うに川ごつごつ
折檻の匂いが少しすみれそう
春の雨ひとを死なせて茹卵
一句目、「石臼晴れわたり」の隠れようもない青天下の石の具体性が「没落を祝う」の単なる悲憤を一旦相対化してみせるが、それがまた改めて「石臼」の使い込まれてきた歳月を思わせる構造になっている。二句目はひとえに「春の水」の春からの「おもいで」「静脈」への照らし返しが一句を成立させている。この「おもいで」と「静脈」や四句目の「折檻」と「匂い」等、抽象と具象、体内感覚と外界を混融させてのイメージ作りは記憶と心情を詩化しようとすればおのずと出てくる、それ自体は平凡な手法の一つに過ぎまいが、それを作品化する上で「春の水」や「すみれそう」の明るさという批判・反照、「折檻の」で切って読むことも出来るという俳句形式の特質が目立たない形でではあれ生かされている。五句目の「ひとを死なせて」は実際に死に追い込んだということではなく、親しい人間に逝かれたあとに沸き起こる理不尽ともいうべき自責の念のことだろうが、これを私情への溺れ込みに終らせないでいるのも「茹卵」の具体性と「春の雨」との照応である。
そうした踏みとどまりに成功している句ばかりとは限らないので《死にたいと言えばどうぞと鮒の声》などは「鮒の声」の虚構の立ち上がりが悪く、私情の切り離しがあまりうまく行っていない例か。ところが似たような作りの句でも《ひっそりと殺られてあげる芒原》となるとその甘美さも捨て難いところがある。
母と観る地下水脈に散るさくら
あらぬ方へ母と鶏去ぬひでり星
烏瓜妣を身籠るまで吊らむ
ガンジスに錆つく父の乳母車
月光に透けたる父の甲羅かな
遠方の父を捜しにいく蚯蚓
「母」と「父」の句から引いた。「母」が「地下水脈」「妣を身籠る」など肉体と血脈の連続性の呪縛のもとに描かれ、「父」が「ガンジス」「甲羅」など遠く淋しい孤立した異形として語られるのもまず常道のうちではあるだろうが、この常道と定型のうちから、巫女的にでも幻視者的にでもなく、また別の宇宙や神話を構築するといった大掛かりな身振りとも無縁に、ごくひそやかに慎ましやかに己を再組織化し、異形のイメージを紡いでいくことで、個人の人生のやりきれなさと美とのはざまに糸を張ることに、俳句という形式を必要としたというのが増田まさみという作者のあり方なのだろう。ちなみにこの作者は過去「青玄」等に参加しているが、現在はどこの結社誌・同人誌にも所属していない。
あしあとを踏んであしあと蓮池に
花冷や匙の首など絞めてみる
排水口柿の種ふと涙せり
うろこぐも不毛の愛に毛が少し
かわたれや虫は裸で死に給う
春磯やユーレイの足向き向きに
これらの句には素材の上では不吉なままながらユーモアも感じられる。ユーモアは言うまでもなく批判・反照の一つの形態である。低声ながら案外したたかなところもある作者なのかもしれない。少なくとも句集を通読して鬱々たる心情に引きずり込まれたり、辟易させられたりといったことはなかった。
記憶と物質、内界と外界の一見のっぺりとした一元化の中で成り立っている作品が多いが、そうした作りの中でも以下の句群などはそこからあるリアリティを汲み上げていると思われる。
初蝶やどこまで海を提げていく
みずぐるま神の腸あわき春
首に疵ある白鳥に呼ばれけり
遠くまで遺影を運ぶかたつむり
たましいに鎖の透ける烏瓜
在りし日のわたくしといる春堤
魂魄のふうわり割れる冬桜
砂山に乳まさぐれば雪が降る
※増田まさみ句集『ユキノチクモリ』(霧工房・2009年10月27日発行)は著者から寄贈を受けました。記して感謝します。
0 件のコメント:
コメントを投稿