■プロブレマティックな一冊
~『超新撰21』をめぐって
・・・小野裕三
『新撰21』は、若手が対象とは言いつつも「手堅い人選」という印象があったのだけれど、今回の『超新撰21』の人選はやや冒険的とも言えるだろうか。冒険的とは、例えば川柳作家を入れていたり、あるいは公募枠を設置したり、とそんなところに端的に現れている。それは野心的な試みとも言えるし、賛否両論あるとは思うが、意図自体には大きく共感する。
ただし、俳句の未来のために、(とりあえず僕自身のことは置いておくとしても)その将来を担うべき人材に光を当てるという意図なのであれば、もっと紹介したい俳人はいたのではないか、という悔いは残る。僕の同世代でそういった名前であればいくらでも挙げることができるし、実際、上田信治氏の作った「百五十句」のリストにはそういった名前がいくらも入っているので、きっと候補には挙がったのに違いない。勿論、限られた21人(もしくは42人)という制限の中、断腸の思いで人選を進めたのだろうし、やむをえない部分もあったはずだ。しかしそれにしても、明らかに俳句史の未来に名前を刻むはずの名前が欠けているのは少し淋しくもある。ぜひそういう人たちを再度まとめた続編を!と思ったりしたのだけれど、残念ながら版元のほうでは続編の予定はないようだ。
そんな意味で、今回の本で特に賛否が分かれそうに思うのは川柳作家の清水かおり氏と、俳人と言うにはあまりにも俳人的でない「俳歴三ヶ月」の新人・種田スガル氏だろう。それでも僕が見る限り、清水氏の作品は結構面白くて、なまじっかな俳人の作品よりは面白いと感じるところがある。そう考えれば今回の冒険的編集意図はひとつの目に見える形となったと評価したい。
一方で種田氏の作品だが、これは率直に言えば俳句というより、百行からなる現代詩、と捉えたほうがぴったり来る。もとより、そこに連ねられた言葉の優れたセンスを疑うつもりはないし、「俳歴三ヶ月」という経歴をネガティブに捉えるつもりもない。だがそれでも、彼女の作品は俳句よりも現代詩と捉えたほうがよく読める。そのことを現代詩的な俳句、と評価することもできるのかも知れないが、逆に言えば「では、なぜそれは俳句でなくてはならないのか?」という根本的な疑問も湧いてくる。それは現代詩そのものであって充分ではないか、という気もする。
この点は、実は高山れおな氏が書いている「二十一世紀女子自由律」の問題とも密接に連動している。氏が、佐藤文香氏なども含めて、近年のひとつの流れとしてこれを総括して的確に整理したのは慧眼と言っていい。ただし問題は、それが本当に俳句に向いているのかどうか、ということだ。以前に『傘』の評で、佐藤文香氏の短歌が異常に面白い、ということを僕は書いた。もとより「自由律」であるならそもそも俳句や短歌という枠組みに囚われる必要はないとも言えるが、それでも漠然とした字数のイメージなどが短歌と俳句を分ける。率直に言ってしまえば、「二十一世紀女子自由律」は、俳句ではなく、短歌や現代詩に(まさに種田スガル氏がそうであるように)こそ向いているし、さらに言えばJ-POPなどの方が向いている。向いてないからそれを俳句はやってはいけないということではないが、残念ながらその純粋な成果としては向いている方にやはり分がある。佐藤文香氏の短歌が面白いように、「二十世紀女子自由律」的なものを受け止めるには、俳句よりも短歌・現代詩の方が成果が出やすい。
越境、とは魅力的な誘惑だ。自由律へ、そしてさらには川柳や現代詩へ、そういった方向に俳句が越境の衝動を抱えることを決して否定はしない。実際、僕自身もそのような句を作ってきていることもあるし、俳句自体もそのような葛藤的衝動を抱えながら発達してきた部分もある。しかし、そのような越境は、「では、そこまでしてなぜ俳句であり続けなくてはならないのか」という疑問を必ず突きつける。繰り返すが、『超新撰21』の編纂は冒険的であり野心的だった。そのことの評価は、これからの俳壇に委ねられるべきだろう。だが、その野心とは、「それでは、なぜ俳句は俳句でなくてはならないのか」という問いも同時に突きつけたのだと思う。
その観点から興味深い事実として、蛇足かも知れないけれどもあえて触れておくが、今回の種田スガル氏の作品の一部にJ-POPの歌詞と酷似したものがあったとの告知が版元から発表された。発表された以上の事の詳細は知らないので軽率な論評は差し控えるが、この顛末については基本的にこう考えるべきだと思っている。つまり、その顛末の主語は種田氏を始め関与した個々人ではなく、ただ「俳句」なのだ。貪欲にJ-POPという外部へ言葉を求めたことの主語は「俳句」であり、俳歴三ヶ月の新人という外部に才能の光を求めたことの主語は「俳句」である。「俳句」が内に孕む衝動のようなものが、動いた結果でしかないのだ。この顛末を見ていると、何か「性急さ」のようなものを感じる。「なぜもっと俳句の中で練り上げられた言葉や俳句の中で練り上げられた才能をこの本で取り上げようとしなかったのだろう」と、これは単純な疑問として湧いてくる。しかし繰り返すが、それをしなかった「性急さ」の主語は「俳句」である。
あるいはこんな風にも考えてみよう。我々が越境と言い、もしくは交流と言う時、概ねそこには現代詩・短歌・川柳はあってもJ-POPはない。しかし、大衆性・愛唱性・韻律性といった観点から見れば俳句よりJ-POPに分があるのは自明のことのようにも思える(勿論、それ以外にも評価軸はあるので、一概に総合点で俳句が劣っているということではない)。あるいは、最近俳人たちの間で流行っているという「ユニット」も、それは元々はJ-POP系の言葉であると言える。そう思えば、俳句はJ-POPの植民地化しつつある、ということだって、ありえないことではない。いやもっと言えば、俳句はJ-POPの植民地としてこそ二十一世紀を生き延びて行く、という未来図だってありえない夢想と否定することはできない。
やや極論めいたこともあえて書いてみたが、僕が言いたいのは今回のこの本はそういったさまざまなことを含めて、正しい意味で「プロブレマティックな一冊」になっている、ということだ。根底にあるのは正しい意味で冒険的で野心的な意図であり、結果として起きたことは編者の意図したのとは違った部分もあったのだろうが、そのことも含めて的確に「俳句」の抱える諸々の問題、もしくは諸々のフロンティアを浮き彫りにした。
とにかく、よくも悪くも我々の時代の「俳句」のスタート地点はここである。そのことを網羅的な見取り図にしてみせた、「プロブレマティックな一冊」だと思う。
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2011年1月18日火曜日
2010年10月25日月曜日
海程ディープ/兜太インパクト -3- それは、「俳句史」にとって幸せなのか? ・・・小野裕三
■海程ディープ/兜太インパクト -3-
それは、「俳句史」にとって幸せなのか?
・・・小野裕三
ずっと以前のことになるのだが、「金子兜太」という存在は、僕にとっては文学史上のものであった。
それもそのはず、なにしろ僕の生まれる以前から既に俳句史上に「前衛俳句」の闘士として名を残していたわけで、僕にとっては室生犀星とか萩原朔太郎とかとほぼ同じようなレベルで、「金子兜太」という名前は存在していた。
それが、氏の主催する「海程」に参加するようになって親しく言葉を交わす機会を得ることができたのだが、最初のうちはどうもぎこちないというか、違和感が拭えなかった。というのも、例えば自分が萩原朔太郎と親しく会話しているという光景を想像してほしい。要するに僕の頭の中ではそんな感じだったわけである。
なぜこんなことが起きているかというと単純な話で、氏が早くから俳壇革新の中心人物として名を成しながらも、九十歳の今に至るまで現役の俳人として活躍しているという、この「息の長さ」が背景にある。こんなことを考えてみよう。仮に、中原中也が九十歳まで現役の詩人として生きていたとする。一九〇七年生まれの中原は、一九九七年で九十歳。既にインターネットが登場している時代に、中原が詩を書いている姿が想像できるだろうか。あるいは仮に、芥川龍之介。一八九二年生まれの芥川は、一九八二年に九十歳。「インベーダーゲーム」ブームの少し後である。そんな時代に、芥川が小説を書く姿を想像できるだろうか。それぞれ、どうにも妙な違和感を感じるはずだ。そして僕にとっては、「文学史上」の人物であるはずの金子兜太との出会いも、最初はそんなようなものだった。
しかし、この金子兜太という人物は、意外に気さくであるということがそのうちに分かってくる。偉ぶったところもなくて、いろいろと 年下の人にも気を使ってくれるし、気持ちもいつもまっすぐだ。なので、妙に人間くさいところもある。そんな「文学史上の金子兜太」と「裸の金子兜太」のギャップが、そのうちにどうにも面白く感じられるようにもなった。
「裸」と言えば、氏とは本当に裸の付き合いをしたことがある。というのは他でもないのだが、ある時「海程」の合宿でホテルに泊まった時、誰もいない男湯に僕が一人でいたら、なんとそこに氏が一人で現れたのである。まさに、「文学史上の金子兜太」から「裸の金子兜太」が抜け出してきたような話である。「裸の金子兜太」は文字通り裸のまま浴槽の中に並んで浸かり、いろんな話をしてくれた。思えば、なんとも幸せな時間であった。
ともあれそれが「文学史上の金子兜太」であろうと、「裸の金子兜太」であろうと、氏は僕の師匠である。受けとってきたものは大きい。
しかし、その師匠が「前衛俳句」の闘士であることを勿論知りながら、僕はあえて「前衛俳句」という言い方はもう止めよう、と近年は提言し続けている。誤解されると困るのだが、「前衛俳句」運動を否定しようという意図ではなく、現在においてもまだ便宜的(と僕には思える)に使われている「前衛」と「伝統」の二分法を止めようというのがその趣旨であり、つまり過去において存在した「前衛」と「伝統」のそれぞれの遺伝子を受け継ぎながら、俳句を新しいステージに進めよう、ということがその目的だ。俳句史上の出来事としての「前衛俳句」運動を否定するものでもないし、そこから今に至るまで受け継がれてきた精神や遺伝子を否定するものでもない。
それでも、と考える。そろそろ、俳句の時間を前に進めようではないか。自分の師匠ではあるが、いやむしろそうであるからこそ、逆にそのことを強く思う。「裸の金子兜太」には、いつまでも健在でいてほしいし、いい俳句を作り続けてほしい。しかし、「前衛俳句」の闘士であった「文学史上の金子兜太」がいつまでも「現役」であり続けることは、果たしてどうなのだろう。そのことによって奇妙な既視感が、いつまでも俳句に纏わりつくことになりはしないか。もっと言ってしまえば、今に繋がる近代俳句史のあらゆるものを、今の時点ではこの人物が一人で抱え込んでしまっている(決して本人の本意ではないと思うのだが)ようなところがある。それはある意味で、俳句史にとっての不幸だ。いや、ひょっとすると「裸の金子兜太」にとっても、それは不幸なことなのかも知れない。
そろそろ、俳句の時間を前に進めてもいい頃だ。師弟関係であるからこそ、あえてそのことに拘りたい。簡単なことではないだろうが、誰かがそれをやらなくてはいけない。
それは、「俳句史」にとって幸せなのか?
・・・小野裕三
ずっと以前のことになるのだが、「金子兜太」という存在は、僕にとっては文学史上のものであった。
それもそのはず、なにしろ僕の生まれる以前から既に俳句史上に「前衛俳句」の闘士として名を残していたわけで、僕にとっては室生犀星とか萩原朔太郎とかとほぼ同じようなレベルで、「金子兜太」という名前は存在していた。
それが、氏の主催する「海程」に参加するようになって親しく言葉を交わす機会を得ることができたのだが、最初のうちはどうもぎこちないというか、違和感が拭えなかった。というのも、例えば自分が萩原朔太郎と親しく会話しているという光景を想像してほしい。要するに僕の頭の中ではそんな感じだったわけである。
なぜこんなことが起きているかというと単純な話で、氏が早くから俳壇革新の中心人物として名を成しながらも、九十歳の今に至るまで現役の俳人として活躍しているという、この「息の長さ」が背景にある。こんなことを考えてみよう。仮に、中原中也が九十歳まで現役の詩人として生きていたとする。一九〇七年生まれの中原は、一九九七年で九十歳。既にインターネットが登場している時代に、中原が詩を書いている姿が想像できるだろうか。あるいは仮に、芥川龍之介。一八九二年生まれの芥川は、一九八二年に九十歳。「インベーダーゲーム」ブームの少し後である。そんな時代に、芥川が小説を書く姿を想像できるだろうか。それぞれ、どうにも妙な違和感を感じるはずだ。そして僕にとっては、「文学史上」の人物であるはずの金子兜太との出会いも、最初はそんなようなものだった。
しかし、この金子兜太という人物は、意外に気さくであるということがそのうちに分かってくる。偉ぶったところもなくて、いろいろと 年下の人にも気を使ってくれるし、気持ちもいつもまっすぐだ。なので、妙に人間くさいところもある。そんな「文学史上の金子兜太」と「裸の金子兜太」のギャップが、そのうちにどうにも面白く感じられるようにもなった。
「裸」と言えば、氏とは本当に裸の付き合いをしたことがある。というのは他でもないのだが、ある時「海程」の合宿でホテルに泊まった時、誰もいない男湯に僕が一人でいたら、なんとそこに氏が一人で現れたのである。まさに、「文学史上の金子兜太」から「裸の金子兜太」が抜け出してきたような話である。「裸の金子兜太」は文字通り裸のまま浴槽の中に並んで浸かり、いろんな話をしてくれた。思えば、なんとも幸せな時間であった。
ともあれそれが「文学史上の金子兜太」であろうと、「裸の金子兜太」であろうと、氏は僕の師匠である。受けとってきたものは大きい。
しかし、その師匠が「前衛俳句」の闘士であることを勿論知りながら、僕はあえて「前衛俳句」という言い方はもう止めよう、と近年は提言し続けている。誤解されると困るのだが、「前衛俳句」運動を否定しようという意図ではなく、現在においてもまだ便宜的(と僕には思える)に使われている「前衛」と「伝統」の二分法を止めようというのがその趣旨であり、つまり過去において存在した「前衛」と「伝統」のそれぞれの遺伝子を受け継ぎながら、俳句を新しいステージに進めよう、ということがその目的だ。俳句史上の出来事としての「前衛俳句」運動を否定するものでもないし、そこから今に至るまで受け継がれてきた精神や遺伝子を否定するものでもない。
それでも、と考える。そろそろ、俳句の時間を前に進めようではないか。自分の師匠ではあるが、いやむしろそうであるからこそ、逆にそのことを強く思う。「裸の金子兜太」には、いつまでも健在でいてほしいし、いい俳句を作り続けてほしい。しかし、「前衛俳句」の闘士であった「文学史上の金子兜太」がいつまでも「現役」であり続けることは、果たしてどうなのだろう。そのことによって奇妙な既視感が、いつまでも俳句に纏わりつくことになりはしないか。もっと言ってしまえば、今に繋がる近代俳句史のあらゆるものを、今の時点ではこの人物が一人で抱え込んでしまっている(決して本人の本意ではないと思うのだが)ようなところがある。それはある意味で、俳句史にとっての不幸だ。いや、ひょっとすると「裸の金子兜太」にとっても、それは不幸なことなのかも知れない。
そろそろ、俳句の時間を前に進めてもいい頃だ。師弟関係であるからこそ、あえてそのことに拘りたい。簡単なことではないだろうが、誰かがそれをやらなくてはいけない。
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