2010年10月25日月曜日

豊里友行の「沖縄便り」(3) 「星のさざなみ」 ・・・豊里友行

豊里友行の「沖縄便り」(3)
「星のさざなみ」
・・・豊里友行

糸満市摩文仁の荒波が届かない海岸沿いの琉球石灰岩の凸凹道を、私は幾度もナメクジみたいに足裏をはわせ進む。
気の遠くなる作業に内心帰れるか心配になる。
撮影の目的地では、私の滴り落ちる汗が野ざらしのままの遺骨たちに垂れないように気をつける。
正直に言うと、私は遺骨をいくども踏んでいた。

私のいる場所は、海岸の荒い凸凹でギザギザの石灰岩の道からたどり着いたアダンの林を切り開いて作った行き止まりの道だった。
それは遺骨収集ベテランの国吉勇さんが造った道だ。
落ち葉の広がる行き止まり道には足の踏み場なんてない。
落ち葉を退かすたび、野ざらしの骨が顔を出す。
照り付ける日差しがアダン林から鋭く刃のように伸び、時折雲間に遮られては光の糸をほどく。
辺りには私の体から滴り落ちる汗と、ヤドカリの落葉を擦る足音だけだった。

私はペットボトルの水を気にしながら口に含む。
私自身が踏みつけたであろう遺骨たちに、きっと戦争のない平和な世の中をめざすからお許しください、と祈りながら私は手のひらのカメラで撮影を続ける。
最後に髑髏の傍らにそっと最後のペットボトルの水を垂らし、ウートートー(お祈り)する。
人気を察知して逃げるヤドカリたちを追い越して、私は足早にアダン林のその現場から逃れるように立ち去った。
その後、国吉さんの案内で本土の団体によってその場所も遺骨収集された。

「そこに山があるから」というじゃない。
そこ(沖縄)に遺骨があるから、国吉勇さんは遺骨収集を続けている。
今回は山を越えジャングルの道(その道を造ったのも国吉さんによる)をはうように進む。
米軍の攻撃を逃れ逃れ、この岩肌の山が連なって出来た洞窟(ガマ)へ住民や兵士が入り乱れる。
沖縄戦当時はその獣道は足の踏み場もないほど死体が転がっていたと、当時の兵士から国吉さんは聞く。
西へ行く人や東へ行く人たちでごった返しになっていたと、当時の戦場の話を国吉さん自身も想像しながら私に語る。
だからそのジャングルのようになった場所を、数日かけてかまを片手に道を造ったそうだ。

なぜ国吉勇さんはわざわざ苦労して遺骨収集をするのか、帰りにもう一度聞いてみた。
彼は遺骨収集をしている時、(沖縄戦の)遺骨が呼んでいるように思えると言う。
限りなく膨大な時間を費やして来た国吉さんは、これからも黙々と遺骨収集を行うだろう。
その情熱の訳が少しだけ私にもわかる気がした。

戦後六十四年を経た今でも、野ざらしのままの遺骨などがたくさんある。
国吉勇さんが見つける遺骨も樹木の生い茂った森や林、洞窟などの闇にひっそりと息を潜めている。
戦死者たちの沖縄戦はまだまだ終わりそうにない。
激戦地・摩文仁の慰霊の日には多くの人たちの祈りが集う。
私も沖縄世(ウチナーユ)になるまで非戦であり非武の島になることを生涯思い、祈るようにこの沖縄の地を詠い、撮影し続けたい。
  
 
鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ        豊里友行

沖縄の原野には今でも野ざらしの遺骨が残っていた(2008年 糸満市荒崎海岸) 
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■関連記事

豊里友行の「沖縄便り」(1)・・・豊里友行   →読む

豊里友行の「沖縄便り」(2)「甲子園俳句」・・・豊里友行   →読む

8 件のコメント:

  1.  初稿は2009年07月05日沖縄タイムスのフォトエッセーですね。

    沖縄市文化協会写真部写真展では130点もの「東京ベクトル」作品群を堪能させて頂きました。
    沖縄市文化協会写真部長として大変忙しそうでしたのでお声をかけられませんでした。
    今年は「戦後六十五年」ですので訂正されたらよいですよ。

    すごく豊里さんは情熱的に行動する俳人で写真家だと思います(お若いですが心とお体を大切にしてくださいね!)。
    沖縄戦体験者である私たちにとって見るに堪えがたいすごい写真です。
    リアリズム写真ですね(リアリズム写真と社会性俳句とは共通する点が多いようです)。
    戦争を体験した世代からはこのような写真は直視し辛いです。
    豊里さんの写真よりは豊里俳句の方が洗練されているように思います。
     終戦記念日の毎日新聞に採り上げられていた記事を下記に記して置きます。
    写真も俳句も文章も大切な何かを気づかせてくれるモノがありました。
    感謝!!



    俳句と青春
    星のさざなみ

     今日は六十五回目の終戦記念日だ。一九七六年生まれの沖縄の若手俳人は、直接体験していない戦争を次のように詠む。
     鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ      豊里友行
    〈鮮やかな原野〉も〈星のさざなみ〉も美しい言葉だが、間に挟まれた〈遺骨〉という一言に目が釘付けになる。単純に星のさざなみに浸ることができればいいが、南国の自然が美しければ美しいほど、遺骨となった犠牲者の無念を思う。
     火に触れしものは火になる敗戦日      山口優夢
     山口優夢は一九八五年生まれ。豊里友行以上に戦争から遠い世代は、まるで科学の原則を詠むかのように戦争を詠む。火に触れたものが火になるのは自然の摂理だが、もしそれが自分だとしたら。かけがえのない家族や友人、あるいは住み慣れた家や町だとしたら・・・・・・。淡々とした詠みぶりが、かえって戦争の悲惨を伝える。
     青春時代に実際に戦争を体験した世代もまた、戦争を詠み続ける。戦時中にトラック島に送られた金子兜太は、戦後、〈原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ〉や〈彎曲し火傷し爆心地のマラソン〉などの名作を残し、赤紙に翻弄される運命をかつて〈炎天の一片の紙人間(ひと)の上に〉と詠んだ文挟夫佐恵は、今も〈戦死とは何なりし満つ霜の声〉と戦争の虚しさを訴える。
     戦後六十五年が過ぎてきたように、これからも時間は限りなく過ぎてゆく。既に故人となった三橋敏雄は〈あやまちはくりかへします秋の暮〉と人間の本質を突いた恐ろしい句を残したが、死者も生者も星のさざなみに見守られてずっと安らかでいられるように、せめて今日は祈っていたい。
                                        (せんだ・ようこ=俳人)

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  2. 名嘉さま
    よく見ていらっしゃる(笑)
    戦後六十五年です。
    ご忠告ありがとうございます。
    あと毎日新聞の記事情報提供感謝です。
    私にとって「リアリズム写真」を提唱した土門拳の影響は濃いです。
    しかし写真を見ていただいても分かりますが見たモノから俳句を創っているだけで以前の社会性俳句によく言われた諸問題やイデオロギーとはあまり考えていません。
    私の俳句は頭だけで考えて作っている俳句ではありません。
    とはいえかつての金子兜太先生の社会性俳句について学びつつ実作に励まないと思います。
    何故ここまで社会的な俳句が衰退しているのか私はしりませんが私の俳句は社会性俳句と高尚な呼び名の代物ではありません。
    ただ沖縄のモノやコトを写している俳句なだけです(笑)
    沖縄戦を取材することで追体験しているモノやコトに触発され創りだしているだけです。
    沖縄の現状を視る私なりの写生俳句とも言えます。
    ただ戦争体験をしている人たちとの交流をどれだけ俳句と写真のメッセージとして血肉化できているかは今後の課題でもあります。
    ちなみに「☆のさざなみ」のタイトルは毎日新聞の仙田洋子様の素敵な文章のタイトルをそのまま使いました(笑)

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  3. 「とよチャンネル」から飛んできました===3
    豊里先生の原石鼎の俳句鑑賞もご観覧ください。

    http://toyoanneru123.ti-da.net/e3220841.html

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  4. なな ちゃんへ

    俳句教室以来ですね===3
    みんなで楽しく俳句も創ってね(笑)


     
     おーい!海だ全校生徒の体操         友行

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  5. 凄い写真ですね。沖縄にはまだ戦争の傷跡が残っているのですね。豊里友行という俳人で写真家の仕事をもっともっと見てみたいです。それとデープな沖縄がもっと見れる連載を楽しみにしています。

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  6. 沖縄戦はまだ終わっていません。
    もちろんベトナム戦争やイラク戦争などの前線基地としての沖縄の立場も戦争に加担していることに変わりありません。
    ただ「豊里友行の沖縄便り」をヤマトンチュ(本土の人)やウチナーンチュ(沖縄の人)に見てもらう上で日本国全体の私たち自身の問題として考えてほしいのです。
    今中国やソ連の外交でもめているのも地球規模で考えていくともっと違う視点が発生すると思います。
    沖縄の現状も日本本土のマスメディアを含めて日本人の無関心から起因しています。
    なかなか沖縄の問題を日本全体の問題として捉えきれない人たちにぜひとも考えるきっかけになるような連載を目指して行きたいと思います。
    なにとぞ応援してやってください。

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  7. 元日本国軍人の孫2010年11月10日 19:17

    涙が止まりません。沖縄から帰れない日本兵がどれだけいたことか!遺骨収集を長年続けられている国吉勇氏に頭が下がります。小生は軍隊が必要というたち場ですが豊里友行氏の想いにも感動致しました。好青年ですね。米軍基地を撤去してぜひとも自衛隊を軍隊としての地位を確立してほしいです。このままでは他国に舐められてしまいます。アメリカに沖縄を占領され続けているのはよろしくないです。

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  8. 元日本国軍人の孫さん
    はじめまして。
    沖縄は日本本土の捨石となり戦後65年目になります。
    米軍に占領され沖縄県民の人権は踏み躙られ続ける現状は今も変わりありません。
    それを許し無関心を決め込んだ日本人が大多数であり続ける日本。
    さて自衛隊だったら駐留してもいいかというと私の見解は駄目ですね。
    沖縄戦だって日本の軍隊として沖縄があったからこそ戦争に巻き込まれたのです。
    その日本兵たちは沖縄住民を守りませんでした。
    では自衛隊なら日本国及び沖縄住民を守れるのでしょうか。
    これらの現在の日本と世界の情勢についてはこれからの沖縄便りでも触れるのでこれくらいにします。
    つまり軍隊があるから沖縄戦に住民丸ごと突入されて行く。
    今の米軍基地や自衛隊にしても武器を持つ以上はアジア圏内の脅威であり日米韓にあるアメリカ軍の行動自体が中国や北朝鮮を刺激する原因である。
    軍隊のない平和憲法を私は主張し続ける。
    このままだと日本は軍事費でブッ潰れかねないし、年金問題や医療保険や介護福祉、教育などお金を膨大にかけなければならないはずの問題を山積みにしたままではいけない。
    世界の外交戦略としての情報戦略だって費用が必要になる。
    天然資源や自給率の少ない日本において経済戦略でもって世界に貢献していく道しかありえない。
    それをアメリカの押し売りで軍事費を拡大させているのも世界の軍縮の流れに逆行している。
    まず戦争になれば軍隊のある沖縄、そして中央の東京が狙われるであろう非常事態を無くすためにも情報戦略と段階的軍縮の道を日本は、なんとしても歩まなくてはならないと私は思う。

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