・・・豊里友行
私は、岡本太郎著の『沖縄文化論 -忘れられた日本』(中央叢書)を沖縄問題に取り組む上で励みにしてきた。
この本の最後の章の「本土復帰にあたって」で岡本太郎は言う。
「私は沖縄の人に言いたい。復帰が実現した今こそ、沖縄はあくまでも沖縄であるべきだ。沖縄の独自性を貫く覚悟をすべきだ。決して、いわゆる「本土なみ」などになってはならない、ということを」
沖縄の本土復帰にあたっての岡本太郎のこの言葉は、今の沖縄においても言えることである。
サンフランシスコ講和条約が発効し、米国の沖縄統治が合法化された1952年4月28日から今年で58年を迎える。
沖縄の米軍基地は日本国憲法の平和主義の恩恵を受けることなく沖縄を延々と占領し続ける。
戦後65年経った今でも日本の米軍基地の75%が沖縄に密集する現状。
その代償のように日本国家は振興策や思いやり予算をどんどん沖縄につぎ込む。
その結果、岡本太郎の危惧していた沖縄の宝である自然や文化は、どうなったのだろうか。
与えられた予算を使い切ることが優秀な沖縄とされ、沖縄に落ちる莫大な公共事業に群がるように本土ゼネコンが集る。
そういう中で沖縄自身がどうあるべきか。
今まで沖縄の独自性をどう活かしていくかを沖縄の人々自身から提言しきれていない。
沖縄がアメリカ領土から日本本土に返還されたのに「本土なみ」という合言葉のもと開発という環境破壊に晒され、現代文明の消費社会に自然も文化も食い尽くされて来た。
沖縄の自然はコンクリートに塗り固められ、自然や文化はずたずたにされる。
癒しの島としてもてはやされ、沖縄の独自性という本質論は避けられ、沖縄の文化は流行に乗る。
そういう中で私は自己のアィデンティティを俳句と写真で追求していく。
それが私の俳句であり写真である。
この度「俳句樹」に海程メンバーとして参加するにあたって俳人で写真家の豊里友行の視点を通して奇しくも戦後65年目をスタートに沖縄の独自性を考えていきたい。
そんな沖縄の道程を私の俳句と写真の鬩ぎ合いの中から読者と共に模索できたら幸いである。
捨石の戦火を泳ぐ亀甲墓 友行
米軍基地の中で行われる清明祭(シーミー)。清明祭とは、沖縄本島の伝統行事で4月頃先祖のお墓の前でご馳走などを食べながら団らんをする。
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沖縄出身の東京暮らしの「おおしろ深夜」と申します。
返信削除豊里友行さんのブログ「とよチャンネル」や「ジャーナリスト・ネット」、「ににん」の原石鼎の俳句鑑賞( http://toyoanneru123.ti-da.net/e3121130.html )など観覧させて頂いております。
沖縄という日本の地方から革めて日本国を見てみるのもおもしろいかと思います。
「俳句樹」が豊里友行さんの「俳句と写真の鬩ぎ合い」によって繁樹することを願います。
「月と太陽(ティダ)」俳句会員の なお です。
返信削除自分の立ち位置である沖縄をしっかり掘る俳人で写真家の豊里友行さん。
まだ直接お会いしたことはありませんが、メール等郵便等で懇切丁寧な俳句指導して頂いています。
今回の豊里友行の「沖縄便り」の俳句を勝手ながら解釈させてもらいます。
捨石の戦火を泳ぐ亀甲墓 友行
(出典=『バーコードの森』)
アメリカ軍の本土上陸を遅らせるための日本軍の捨石作戦といわれる程、時間稼ぎのための戦いを沖縄は強いられた。
そのため日本軍と沖縄の地域住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。
この沖縄戦の際、自然の洞窟であるガマや女性の性器を象られたといわれる亀甲墓(かめこうはか)までもが防空壕の代用とされていた。
亀の甲羅の形をした亀甲墓には先祖代々からの骨が厨子甕(ずしがめ)に収められている。
そのお墓を日本軍は防空壕として改造して使ったりもしている。
沖縄では清明祭(シーミー)やお盆の七夕などお墓=ご先祖様との繋がりも深く、祖先崇拝が浸透している。
その大切な先祖のお墓まで日本軍や日本兵に奪われ戦火の中を彷徨う沖縄住民もいたと言う。
住民の多くを犠牲にした沖縄戦において戦火を亀のように泳ぐ亀甲墓は映像的だ。
日本にある米軍基地の74%もの基地が沖縄にある。
沖縄戦から65年経つ今でも捨石のように亀甲墓は泳ぎ続ける・・・。
この句は沖縄の過去・現在・未来を象徴的に創造した俳句である。
なお さま
返信削除俳句鑑賞ありがとうございます。
これからもどうかよろしくお願い致します。
沖縄の俳壇は野ざらし延男氏の「天荒」俳句会、岸本マチコ氏の「WA」、三浦加代子氏などを主流になっている。
返信削除はっきり言って沖縄の文学の派閥化が進んでいます。
沖縄の俳句を突出して日本の俳壇に問題提起できる存在に豊里友行氏がなってほしいと切に願うものです。
御健吟願います。
匿名さま
返信削除無記名の批評はよろしくありませんね。
批評されたいのならお名前を出して自己責任でお願い致します
俳誌をだしている有力な沖縄の俳句会が中心になるのは当然でしょう。
私も第三十七回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞(文学部門・俳句)受賞した時は、「天荒」俳句会に所属していました。
ですがそこを退会してからは私は沖縄の俳句界とは無縁になりました(笑)
ですが豊里友行の俳句活動は、地道にやっています。
できるなら「俳句樹」で私は、これらの沖縄俳壇や日本の俳壇に向けて問うのではなく、沖縄から日本へそして世界へ発信する自由な詩的精神の広がりを大切にしたいです。
沖縄のヤーグワーチィクェーなどどうでもいいです。
もちろん俳句樹においても俳句会や俳壇に限らず自由に俳句について討論できる場ができることを切に願います。
こんにちは。
返信削除「バーコードの森」豊里友行俳句集の参考資料をリンク致します。
豊里友行様の俳句と写真のコラボに文章も楽しみにしています。
名嘉さま
返信削除切れのある豊里友行俳句鑑賞も楽しみにしています!
俳句樹ともどもどうかよろしくお願い致します。
「沖縄から日本へそして世界へ発信する自由な詩的精神の広がりを大切にしたいです。」という豊里さまのお志には感服致しました。
返信削除いろいろ勉強させて頂きます。
仲間さんへ
返信削除いろいろ学びつつ沖縄便りのコラム連載して行きます。
今後ともどうかよろしくお願い致します。
豊里友行さんのブログ「とよチャンネル」でも岡本太郎の『沖縄文化論-忘れられた日本』(中央文庫)において岡本太郎は「本土復帰にあたってを引用されている。この言葉に相当触発されて豊里さんは、沖縄側の発言をしていますね。参考まで荷下記に記します。
返信削除「 私は沖縄の人に言いたい。復帰が実現した今こそ、沖縄はあくまでも沖縄であるべきだ。沖縄の独自性を貫く覚悟をすべきだ。決して、いわゆる「本土なみ」などになってはならない、ということを。」
「何をやってくれますか、の前に、自分たちはこう生きる、こうなるという、みずからの決定、選択が、緊急課題だ。それに対して本土はどうなんだ、と問題をぶつけるべきなのである。」