2011年1月18日火曜日

豊里友行の「沖縄便り」(8) 「初心に帰る」 ・・・豊里友行

豊里友行の「沖縄便り」(8)
「初心に帰る」
・・・豊里友行



ある総合俳誌のインタビューの前質問で何故俳句を選ばれましたかという質問を受けた。
宮沢賢治の文学への姿勢「おれはひとりの修羅なのだ 」(宮沢賢治『春と修羅』より)に羨望し、文学の道(当時私は小説家を志していた。芥川賞作家の目取真俊氏が高校教師をされているとき俳句文学を究めるのも勉強になると示唆を受ける)を志す。
高校三年生のとき「とんぼ舞うちぎり絵の中の通学路 友行」でジュニア部門最高賞の「ろうたす賞(「五色」俳句会代表で選者=新馬立風)を受賞。
以後俳句道に精進する。
その時の賞金で私はオリンパス一眼レフカメラのOM-10を購入した。
当時の私はなにかしら沖縄のためになりたいと考え、文学と写真という表現分野を学ぼうと試みる。
野ざらし延男氏の代表される「天荒」俳句会に入り、俳句を本格的に始めた。
その頃は多作していた。
若かったあの頃の私には、遠慮の2文字などなく多作症とでも言いたいくらい多作していてひと月の投句数が百句を越えることもあった。
俳句会の事務局のファックスが夜通し鳴いていたという(投句制限を作ったのも遠慮を知らない私の多作が原因だった)。
俳句を創ることに純粋に専念していた。
それらの多くの俳句を野ざらし延男氏は俳句会の場で選句していただき俳句鑑賞をして頂いた。
野ざらし延男氏の俳句鑑賞を土台に私は伸び伸びと大量の俳句を試行錯誤した。
その良き師匠との出会いが今日の豊里友行という俳人を形成してきたことを深く感謝している。
星空を眺めながらこの美しい星の唄をどう表現したものかと思いながらつくった俳句がある。
夜のパンに鮫のかなしみをぬる  友行」
この句の意味性は難解かもしれない。
まるで赤ん坊が何かを要求するために泣く行為みたいだ。
言葉にならない何かを表現しようと私は果敢に自己の心の趣くままに俳句を創る。
自分の俳句を鑑賞するのは、俳句鑑賞を狭める恐れがある。
俳句は優れた俳句鑑賞の創作がなくては成り立たない文学だと思う。
野ざらし延男氏の俳句会を抜けて、それをしみじみ実感する。
俳句と写真という表現を探求する旅は、永遠の孤独を抱え込む行為だ。
日常に居るからといって決して何が旅だと笑えない。
これまで優秀な師を得ていた私は、もう戻ることのない俳句の旅を無自覚にも選ぶことになった。
これまで散々お世話になった「天荒」俳句会へもう二度と戻ることは出来ない。
十年以上在籍した俳句会の人たちに別れの言葉もなく大変無礼なやめ方をする。
恩を仇で返すとはこのことをだ。
私は若くて何も考えが及ばない人間だった。
私は「月と太陽(ティダ)」俳句会を立ち上げる。
もう野ざらし延男氏の教えからどれだけ離れられただろうか。
まだまだ野ざらし延男氏の教えをぜんぜん乗り越えられないでいる。
私は修羅になることなどできないほど弱い人間だ。
いつの間にか死ぬために俳句という文学を探求していた。
闘病に闘病を乗り越えて来た私の最初の師匠は、生きるための俳句文学を説いている。
私の歪んだ美意識は、死の棘を生きる姿態とする薔薇のように咲かそうとする。
それを私が否定することが出来たのも最初の師匠の教えに振り返ったからだ。
社会に合わそうと必死で生きていく私は仕事をこなしながら寝る間を惜しんで俳句に写真に没頭して行く。
ある種のナルシズムの陶酔のような感覚を味わっていた。
沖縄のためなら死んでもいいと思うように成って行く。
俳句という文学に、写真という愛に私は酔いしれる。
手も足も削いだ丸太ん棒の寝床  友行」
私の夢は星の軌跡を描く夜空にだけ刻んでいた。
私にとって俳句も写真も遺書のようなものだった。
師の生きるための文学を私は、歪んだ美意識の武器にしようとしていた。
個性という自己の開花を歪んだ美意識で捉えて放そうとしなかった私の手をぎりぎりで解いてくれたのも確かに師であった。
何度も何度も俳句の原点に螺旋階段を上るようにゆっくりと歩を進める。
ふりかえるたびに過ちを悔いながらも人生の階段を上っていく。
沖縄のためではなく自分のための表現だと気づく。
私は修羅になる必要などなかった。
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の松尾芭蕉の覚悟を私は沖縄の地で覚悟する。
沖縄に生まれ育ち、そして死に逝くときもこの終の棲家を文学と写真に求めていようと想う。
ちなみに野ざらし延男氏の俳句教育は、学生俳句の沖縄の俳句隆盛の歴史を築き上げた。
私は切にその生きる文学の後継者が育ってほしいと願う。
私もまた私なりの人生感で俳句を創造して行きたい。  
今年の目標は初心に帰り多作していきたい。


撮始め双葉は月と太陽(ティダ)のワルツ    友行

米軍基地キャンプ・シュワブと名護市辺野古の浜の境界線の有刺鉄線(バラセン)が渦を巻く。
そのバラセンに平和を祈るように基地移設反対の思いを書き込んだ布が結ばれている。

4 件のコメント:

  1. この有刺鉄線には、確か剃刀型の鋼が付いていて、潜り抜けようとすると肉が裂けると聞かされた。普通の有刺鉄線とは違う。その鉄線にぼくもまた赤い腕章をくくり付けてきたことを思い出す。数年前、5月の沖縄平和行進に参加したときのことだ。この行進、沖縄の各地から三日間行進するのだが、ぼくは最終日のみ歩き通して、その他の日は、辺野古の座り込みやヘリパッド基地反対の座り込みに短時間だが参加した。また、チリチリガマやウタキに行った。
    その折の本土の参加者への注意事項には、雨具(この時期、沖縄は梅雨時期)、晴れのときは長袖と帽子を着用することであった。

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  2. 大井恒行先生へ

    はじめまして。
    俳人で写真家の豊里友行(とよざと ともゆき)と申します。
    現代俳句協会の「現代俳句」などで私の句をご紹介いただきお世話になっております。
    5月の平和行進は沖縄・本土復帰の日に合わせての行事です。
    基地の島・沖縄をマジかに体験できる大変有意義な行事だと思います。
    そうなんです。
    この有刺鉄線(バラセン)は肉を引き裂くように食い込みます。
    私のように撮影するのは真似しないように(笑)
    そのバラセンなのですけど昨年から回収作業がなされて今は簡単なミニフェンスになるようです。
    多くの人に基地の島・沖縄の現状を体感してもらえたらと切に願います。
    ちなみに俳句樹は不定期発行になりましたのでこれからもどうかよろしくお願い致します。

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  3. こんにちは。
    豊里友行さんの真摯な俳句への姿勢が伺えておもしろいです。
    「手も足も削いだ丸太ん棒の寝床  友行」は「手と足をもいだ丸太にして返し 鶴彬 」の現代版のようで楽しめます(やや川柳調だが・・・)。
    野ざらし延男氏もすごい俳人なんでしょうね。
    ではでは。

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  4. 石川さまへ

    鶴彬の川柳はいいですね。
    私は俳句も川柳も昨今では、区分が難しいと思います。
    とはいえ「手も足も削いだ丸太ん棒の寝床  友行」は、川柳的です(笑)
    私はあえて俳句と川柳を区別していません。
    揶揄にとどまらない批評眼の効いた俳句を目指しています。

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