2010年10月25日月曜日

「「結社の時代」とは何であったのか」を読んで ・・・筑紫磐井

「「結社の時代」とは何であったのか」を読んで
・・・筑紫磐井


前号で「長編・「結社の時代」とは何であったのか」を執筆したが、これはかなり客観的な全体像であったので、少し私の個人的な感想やディテールにわたる補足を行っておきたい。秋山編集長自身と、「結社の時代」の時期、私はほとんど言葉を交わした記憶がない。私が「俳句」に執筆を始めたのは平成9年以降だから、直接、連絡などを受ける機会はなかったのである。うっすらとした記憶で阿佐ヶ谷あたりのバーに先輩俳人に連れて行かれたときに、カウンターの遠い向こう側に秋山一人で酒を飲んでいて(これは秋山のなじみのバーであると後から聞いた)目礼をした情景が目に浮かぶぐらいである。おそらく、俳句界の編集顧問となって以降、そのパーティーで会うようになったのが具体的に話を交わすきっかけだったかもしれないが、それでも、それほど長い時間でも頻繁でもなかった。ただ、何か私のことは気になっていたらしく、句集『うたげ』に私のことを詠んだ句がある。これは一種の秋山の交友録のようなものであったから交友名簿には入っていたということであろうか。その後、類想句をめぐる論争があったとき、私も多少論じたり発言したりしたが、あるホームページで見ると私とほぼそっくりなことを秋山みのるが述べていて驚いた記憶がある。思考回路に似たところがあったのだろうか。

さて、話を戻して、「結社の時代」のキャンペーンは「俳句」という大きなメディアの編集長の秋山がいくら起こそうとしても、単独では不可能である。最末端の結社を含め、システマティックにこの運動が機能するための多くの人間の協力が必要である。「結社の時代」の編集はつぎのような構成でできていたようである。

①グラビア風の結社紹介記事(通例は1頁1誌で、数行の簡単な結社紹介と主要同人5人、俊英同人10人の1句が紹介されている)
②「結社の時代」の精神を体した鼎談方式による座談会
③「結社の時代」の精神を体した記事(特に連載)
④<俳句新聞>という編集長作成のコラム
⑤後半期に顕著なグラビア風の緊急企画(編集長が執筆したものと、山本健吉などの著作を抜粋したもの、本誌の座談会の先取り記事などの幾種類かがある)
⑥上達法にかかわる特集記事では、非常に短い分量(例えば半頁)でたくさんの俳人に執筆を依頼

すでにいくつかの例は、長編の方で述べたが、これらの中で③記事(特に連載)に貢献したのが、土生重次や藤田あけ烏といった人たちだった。何も、「結社の時代」に迎合したとは言わない。おそらくこうしたキャンペーンにはそれに適した人を見つけるかどうかが成否を決めるわけだが、彼らはその才能を十分発揮したといえよう。特に藤田あけ烏は、私の目からすると秋山編集長の代弁者と言ってもよいくらいに「結社の時代」を伝道していたように見える。

今日では、藤田あけ烏(昭和13年~平成16年。「草の花」を創刊主宰)を作家として認識している人はあまり多くないと思われる。ただ秋山編集長に委嘱を受けて、連載記事を執筆、その内容は「結社の時代」を大いに盛り上げたが、それはそれなりに工夫が凝らされていた。特に、平成3年7月~平成4年6月の「俳誌月評」、平成4年10月~平成5年11月の「俳句との対話」は結社の時代のピーク時の秋山の編集に呼応して、秋山のメッセージを見る以上に当時の俳壇の右往左往ぶりをうかがわせてくれる生々しい資料となっている。

特に、「俳誌月評」はユニークなコラムであり、原則毎回1結社のみを取り上げ、①藤田の時評風の主張、②主宰・同人を中心とした結社誌の簡単な紹介、③主宰等に対するインタビュー、からなっていた。①は秋山の編集長の情報発信に似ていた、②は「結社の時代」の嚆矢となった結社紹介記事に倣ったものであろう。ただ、③主宰等に対するインタビューは、独自の企画であり、今読んでも面白い。この時インタビューされたのは、藤田湘子、森澄雄、金子兜太、後藤比奈夫、飯田龍太、沢木欣一、堀口星眠、上田五千石、桂信子のそうそうたるメンバーであった。この企画が拡大され翌年の読みきりインタビュー「俳句との対話」(細見綾子、野沢節子、鈴木真砂女、岡本眸、中村苑子、加藤三七子、井沢正江、山田みづえ、上野章子、角川照子、星野椿、飯島晴子)につながっている。多くの著名俳人が「結社の時代」に組み込まれていたのだ。

まず最初に、藤田あけ烏がとらえている「結社の時代」の理解をその言葉から引いてみよう。

「あれ(「結社の時代」)は標語なんかじゃないですょ。標語ならそのフレーズ自体に意味や目的性を帯びますが、このフレーズにはそれはない。コマーシャルのキャッチフレーズでも勿論ない。惹句にはちがいないけれど・・。私は現況の俳句界に立てた題目だと思っています。」

「お題目ですよ。それも大したお題目です。だから、その発生のきっかけが何んであれ、これをあんまり狭義に捉えようとすると彼の本義と離れてしまって各論で終ってしまいますよ。」

「別に抽象的なことではありませんよ。端的に言えば現状の俳壇、現状の結社、現状の作品、これは各論ですよね、その一切の将来的方法と動向のことまでを含めての総論。これをこの機会に、というよりは五〇〇号を折り目に俎上に乗せ洗い直してみたいと彼は考えていると思います。編集後記で彼(秋山)がいま書いていることは、とても注点的に、旧守的に吐いていますが、あれは過程の方便論であって狙いは当然、最終的な総論の成果を見ようとしているはずです。このことについて別に本人から直接に聴いたわけでもないし単なる私の想像ですけれど・・・。ただ、彼は編集者ですから主観的なことは表面切ってあまり言える立場じゃない。後記で、しかも呟くようにしか言えない。そのもどかしさがあるはずです。まあ、どちらにしても現代俳人の個々の足元の意識、所属結社と作家としての関り合いの意識、グローバルな存在としての俳壇の意味の再確認、それを踏み台としての次の作品活動と成果を如何に具体化し進展させるかというジャーナリストとしての問題意識の具現ですよ。だから、無雑作にも見える″結社の時代″というお題目を投げ出してみせた彼をすでにこの時点で評価すべきだと思う一人ですけどね。」(7月号)

これは藤田の「結社の時代」という標語・キャッチフレーズに対する理解である。秋山編集長は何も言っていない(それは藤田も文章の中でも述べている)。確かに、「現代俳人の個々の足元の意識、所属結社と作家としての関り合いの意識、グロ-バルな存在としての俳壇の意味の再確認、それを踏み台としての次の作品活動と成果を如何に具体化し進展させるか」はいつの時代も必要であろうが、それは「結社の時代」というキャッチフレーズからは微妙に外れているようである。藤田の問いかけは誠実にそれを読み解けば最初に結社ありきではないということになるが、「結社の時代」はまず結社ありきがどうしても読みとれてしまうからである。むしろ、結社の時代終了後の「もはや『結社の時代』は終った。今日必要なのは、こころざしをもった結社と優れた俳人のみである」(秋山みのる・争論「結社誌は分裂をするべきだ」平成17年)の発言の方こそ、藤田の発言にふさわしかったのではないか。

とはいえ、今日気がつかない興味深い話を、この月評からは数多く伺うことができる。例えば、現代俳句協会の「年鑑‘91」(12月臨時増刊)で「いま、なぜ“結社の時代”なのか」と題する特別座談会(尾形仂・石原八束・金子兜太・松澤昭ら)が行われたそうだ。これは私にとって初耳だった。

金子「確かに、結社の時代だと言った。それに反対だ、という状況判断ではなくてね。やはり結社は大事。――(しかし)結社からはみ出したものをやろうという、そういう連中の発言が失われて来る。そいつも救い上げなければいかん。 結社の時代ではあるが、結社と作り手の自由の問題ということを織りまぜて行かねばならない。――」

石原「数が多くなりますとね、個人の発言みたいなものは、かなり薄くなるわけ。だから、結社を通じて、グループを通じて発言するというような時代に移って来ているとも言えるんじゃないでしょうかね。」

尾形「俳句は非常に短い形でもの言うわけですから、それがどう受け止められるかが最大の問題だと思うんですね。確かな手応えを持って受け止めてくれるグループというのは、どうしても必要だと思うんです。そういうことが、結社というものの生まれる基だと思いますけれど・・・。今、結社の時代が改めて言われなければならないのはなぜだろうか。私にはよくわからない。ただし、これは俳句大衆化の問題と関わりがあって、今の大衆化と言うか俳句の普及を担う大きな要因になったのは、やっばり結社の存在だと思う――。」

松澤「例えば、職場俳句会が一時期盛んになったことがあるけれども、やはり、職場俳句会からものすごい優秀な作家が出たということは、はっきり言ってないです。いつの問にか結社の方へ入って、結社の中でたかれて一つの自由な雰囲気の中で認められて一流俳人となる。ですから、もう少しはっきり言えば、結社からほとんどの俳人が出ているわけです。そうでない、例えば新開投句者から素晴らしい俳人が出現したというのは、まず少ないわけです。」(4月号にて転載)

なるほどこんな議論が行われていたということは、興味深い。結社の時代を全面的に肯定している論者ばかりではない(金子、尾形)が、「結社の時代」を現代俳句協会の役員たちが論じなければならない時代と思わせるところが、キャッチフレーズのキャッチフレーズたる所以・恐ろしさであろう。
このほか、著名作家に対するインタビューは、あまり「結社の時代」についての直接的言及があるわけではないが、この時代の理解と作家たち(主宰者たち)の理解に役立つものも少なくはない。(以下発言者を明示する形で多少原文に変更を加えている)

あけ烏「結社の一代論について、一般論でなく「鷹」自身の考え方。」

湘子「一代論というのは格好いい。だがもうこの氾濫の時代においては駄目だ。ベテランが皆、路頭に迷うことになる。余所へ行くと作品に実力があっても妥当な評価をされることが少ないだろう。折角育った俳壇的な逸材もガラガラ崩れてしまう。だから結社としての次代をどうするかを考える以外にない。しかし、鷹ではとっくに考えている。私が肉体的にも辛いと思うようなことにでもなれば当然そうなる。若いものに継がせれば結社内調整もあるだろうから、しばらくは後見をすることにはなるが・・。だから、その結社の主宰が死んでからどうするかなどというのにまずい。」

あけ烏「鷹での結社誌編集の将来的方向は。」

湘子「閉ざされた結社でなく外に向って開かれた結社誌を目指す。原稿は勿論、ご意見にも耳を傾けるという姿勢。まあ言うならば現今の総合誌は堕落している。良かったのは戦前の「俳句研究」であり戦後の「現代俳句」だ。他の結社の人が読んでもおしろい雑誌を目指すつもり。」

あけ烏「雑詠選の意義と選句基準について。」

湘子「以前は主宰の作品なり、俳句観にあつまるということが核だったが、いまはその要素以外のウェイトも大きい。どちらにしても主宰の選を仰ぐというのが勉強の要だ。ある程度、力がついたら作品上で主宰に反発するということも大切だ。鷹では現在、不合の地で頑張っている人達をより大事にする。それが将来、大きな力になりうる場合があるからだ。あらゆる可能性を求めるということは作品を小さく凝縮させずにいくということだ。それと、自由律は認めぬが有季に勝るような無季俳句は認めていく。」(8月号)

この結社の時代の意味については、同じ「鷹」の飯島晴子が、毎日新聞(一月二十六日付)で次のように述べていると書いている。

「「俳句」の編集後記で結社の時代という言葉をしばしば見る。誌面で結社というものをテーマにした編集がされているわけではないので結社の時代の意味がどのあたりに想定されているのかいまひとつわかりにくいが内容を問われないまま結社の時代という言葉が俳句界を歩き始めそうな印象である。――(中略)――神さまでもない選者の宣言する価値は絶対であることによって制度の機能は果たされる。疑ったり批判したりすることは制度自体の否定となる。現代は選者制度に対するそのあたりの基本の認識をうやむやにしようとすることでかえってこの制度の機能をわるくしているのではないかと思う。 結社の時代とあらば、まず選者制度の理不尽はもっとありのままにスポットが当てられた方がよいし、それを逆手の活力にして得るものは得て効率よくこの非近代的な制度をくぐり抜ける人たちが現れて欲しい。」(7月号から再転載)

結社の時代の先端を切っていると思われた「鷹」であるが、意外に冷静に冷めた目をしていたことが分かる。「こころざしをもった結社と優れた俳人」はあまり「結社の時代」に流されなかったということであろうか。
次は森澄雄の発言を見てみよう。

あけ烏「ここで、結社の実質的な質問ですが、主宰の次の代の「杉」ということについて。」

澄雄「別にそう言う問題については考えていません。それよりも、いい作品を作りたい、残したい、これが現在のところの眼目です。」

あけ烏「少し立入った問いで恐縮ですが、そうしますと主宰の作品や人柄を慕って、現在、「杉」に参集している俳人達には、もし、先生に万が一のことがあった場合は、まあ、自由に後はやりなきい、ということですか。」

澄雄「さあ、どうなるかねェ (笑)。
(ここで、主宰長男の森潮氏の話があるが省略)
 いまねェ、僕が死んだからどうなるかという問題よりも、創刊当時五十歳だった人が七十歳、僕も七十二歳になっていますね。いわば結社の主流が皆、年をとって、あと十年もするといなくなっちゃぅ。だから、僕が新しく「杉」に望んでいることは、次の世代を担う若い作家をどう育てるか、ですね。四、五十代の作家が殆ど居らんのですよ。そう、五、六十人位かな。だから、今後、その中から結社の中心になる作家を育てていく、私も、句作りと共にこの点にも、もう一度、一所懸命に取り組む、これが今の一番の限目です。」

あけ烏「このことは、当然のことのように、現況の俳壇全体にも言える問題ですね。」

澄雄「だから、さっきのお話にも出た田中君や岸本君にしても、いわば期待しているからこそのことでね。期待してなきゃ何も言わんですよ。それとね、例えば「杉」に主流の作家がいるんだけれども、どれだけ、僕の言うことを理解しているかというと、やっばりすこし不安定ですね。」(10月号)

「杉」に関連して、昭和40年代の草間時彦、高柳重信の発言を引用しているのは意味深長だ(重信の発言はある程度結社の必要を是認している)。

草間時彦「私は今度の「沖」と「杉」の創刊に対して、心からお祝を言う気持にならないんですよ。というのは現代俳壇においてかけがえのない大事な作家が、主宰誌を持つという重荷をしょい込んだことが不幸なんじゃないかという気がするんです。というのは、いまの俳壇というのは昔とちがって、主宰誌を持たなくても、ある程度の発言が出来る場所にならなきゃ嘘だと思うんです。俳壇というものは、結社の集まりではなくて、人間の集まりになりつつあるところに、こういう優秀な作家が結社を持たれて、それの荷物をしょい込むということは作家活動の邪魔になるのではないか。なんかさびしい気がしますね。」(同前から転載)

また金子兜太についてもはっきり聞いている。

あけ烏「「海程」の主宰であるという認識は?」

兜太「私はね、主宰誌的個人誌という言い方をしているんだ。形は一般主宰誌と変らぬが中は思い切って自由に、これは当初からです。私の傾向というものを押しつけないということかな。世の結社と少しちがうものをと思ってやってきたが、その本意が解らず去っていったものもいる。今になって何んとなく皆、解ってくれています。」

あけ烏「ということは主宰が会長でもある現俳協の運営姿勢というものもその辺にあるのか?」

兜太「はい、その考え方が基本だ。この間、井本農一先生に俳人協会のように「有季定型」などというスローガンを持った方がいいとね、大阪の乾裕幸さんも現俳協が何もスローガンを持たぬのはおかしいと書いておられるようだが現俳協は、考え方の自由な連衆、つまり「自由集団」ということがスローガンなんだ。ただね、このこととは別に、気にしていることの一つに、今なにか全体に焦点がない。「しらけ」という感じでね。皆んな「だらけ」て作っているという感じがあるなあ。」

あけ烏「その点についてのお考えは?」

兜太「あなたも「貫く棒のごときもの」ってんでお書きになっているけどね、この十月号の俳句研究(P46)に<当節の俳句の詰らなさについて>というのを書いてます。角川から出た「鑑賞日本現代文学」の中でね、嘗て、飯田龍太氏が発表した一文を引用して平井照敏君が語っているんだが、先に龍太の文章を要約していうとね、<いうまでもなく俳句はあらゆる文芸様式のなかで様式と云えるぎりぎりの型である><作り手ひとりひとりの個性の入りこむ余地のきわめてすくない様式である><たとえば芭蕉、蕪村、一茶を並置して眺めたとき、一茶の作品はとび抜けて個佐的であるがそれだけ作品の質は落ちる>と。これに照敏が自説を加えているわけだ。古人三人を上げて評価しているが実証されているわけじゃないし、それにしても一茶が質的に落ちるとは思わないね.時代と個性、つまり、芭蕉元禄と一茶の文化文政、これは全く色あいが違うんだ。あくまでも推測だが、龍太はだな、体質的に一茶が嫌いなんだ。むしろ、蕪村が好きなんだ。だから好き嫌いが働いている。それに乗っかって平井照敏が草田男・波郷・三鬼もそうだなんて言っている。三鬼が一番個性的におもしろいが一番内容が落ちるなんて馬鹿なことを言っている。ならば草田男はというと逆に晩年、大変個性的に突走った作家だよね。そんな言い方からすれば、芭蕉が一番質的に落ちることになる、全く照敏の言っていることは辻褄が合わないね。それと、個性が悪いんじゃない。俳句の形式にどう発想をいれてゆくかという言葉のつなぎ目をもっと厳格に考えねばならぬということだ。俳句はうまくつながったが個性が死んでいたというんじゃ駄目だ。照敏君あたりがね、普遍性を言ってね、個性を越えた俳句が素晴しいとかね。彼の作品を読んでみても普遍性などというのはどこにもないよ。蝉のぬけ殻みたいだよ。彼がその辺を目指しているというのなら、ぬけ鼓でもいいがね、せめて空蝉ぐらいの無常観でもあれば別だがね。そんな感じもない。」

あけ烏「しかし、いろんな雑多なものや多様のものが集約されたり省略されていくことによって個性というものが見た目には冥伏していくということではないのか。」

兜太「そういうことも考えられるが意識的に消そうとするところがナンセンスだ。形式の名前をかりて・・。それが随分とあるんじゃないか。だから、「雲母」の大井雅人君のように「平凡がいいんだ」なんて言い方をするんだ。形式と格闘したのちの結晶として個性がしたたかに出てくるというのがいい。普遍性もあれば個性もあるというところを求めるべきだ。普遍性、普遍性といって個性を全部消したんでは普遍性の抜け殻が出てくるよ。」(11月号)

「結社の時代」が終った現在、藤田あけ烏の「俳誌月評」を読みなおそうとする人は二度と再び出てこないであろうが、当時の「結社の時代」の構造を知るためにも重要であるし、角川書店のバックアップもあったろうが、これだけの作家たちにぶしつけな質問を呈し、かつそれに答えを得ているのは貴重である。例えば、金子兜太の快刀乱麻の答えも楽しいではないか。これらの代表的作家の座談会記録は折に触れて本にまとめ上げられるであろうが、藤田の「俳誌月評」中のインタビューがそれらの中に入れられる気づかいがない。多少とも紹介しておきたいと思った次第である。

ちなみに、藤田もさすがに声高に「結社の時代」の質問ばかりをするわけにはゆかず、むしろその作家の時宜にかなった質問をし、答えを得ている。その中には、森澄雄の田中裕明・岸本尚毅・波多野爽波批判(10月号)、飯田龍太の「海外俳句は子供の発想」説(2月号)、堀口星眠の馬酔木除名に至る詳細な顛末(4月号)など、今日読んでも面白い記事がつづられている。

*      *

秋山の部下であった山口亜希子は、そのブログで、「結社の時代」の真の貢献は、各出版社に「俳句は儲かるかも」という幻想を抱かせ、俳句総合誌を増やしたことに尽きると述べているが、はたしてそれに尽きるかどうか。私は、前号で書いた牧羊社の登場の方が、そうした傾向を明らかにしたのではないかと思えてならない。年間100冊を超える句集を刊行し、さまざまな賞を総ざらいにするというビジネスモデルは牧羊社がまず提示したものであった。今日もまだそのモデルは有効なようである。

むしろ山口の文章では、その冒頭で書いている、竹下内閣の「ふるさと創生一億円」のころ、総合誌「俳句」が「結社の時代キャンペーン」を張り、それまでは「打って出る」方途すらなかった地方俳人たちが奮起した、という言葉にどきりとした。前述した、現代俳句協会の座談会で、石原八束も次のように述べていたからである。

石原:俳句が非常に盛んになった、栄えた理由がいくつかあると思うんですけれど、その中の一つは、結社が質量共に伸びて来ていること、これが土台になって俳句社会が発展している、――地方の俳句文化の向上。地方が非常に進展して来ている。――カルチャー(中略)これも俳句が盛んになっている原因の一つ―圧倒的に女性ですから(中略)必ず子供とか孫とかに撃がる。――そういうことをいろいろ考え、締め括るような意味で結社が見直されねばならぬ所へ来ていると思う――。

いささか差別的な色合いを帯びているが、地方の登場が結社の隆盛につながると述べているのと、軌を一にしているように思えたからだ。これこそ検証しなければならない事実であると思う。

しかし、現代にあっては地方の時代と関連するのはむしろインターネットの時代だ。当時はまだまだ原始的なインターネットしかなかった(ちなみに日本最初のホームページが、座談会当時の平成4年につくばの高エネルギー研で作られている)が、当然この座談会の時代はそんな予兆さえ語られていない。現代俳句協会の座談会に戻ると、職場俳句や新聞俳句では一流の作家が生まれない、結社から生まれる、と松沢昭は述べていたが、おそらく彼らに現代のインターネットを見せてもインターネットからは作家は生まれない、結社からのみ生まれる、と言ってやまないであろう。しかし、インターネットが主要な媒介手段になってきた現代において、こんな断言できるかどうかはますます怪しくなってきている。いまや俳壇の寵児となっている佐藤文香は、愛媛県という地方にいながら、電子媒体を通じて遍在し、意識としては私の隣にいてもおかしくないのだ。新しい文化がインターネットから生まれるとは言わないが、それとどう折り合いをつけて行くかが俳句の世界の大きな課題となっていることは間違いない。平成4年当時は地方結社ないし俳人は商業誌や協会と結びつかざるを得なかったが、平成22年にあっては地方結社ないし俳人は商業誌や協会を超えて活躍し注目する機会を得ようとしている。一例でいえば、『新撰21』で登場した、沖縄の豊里友行の動向などは気にかかるところである。

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