2010年10月10日日曜日

長編・「結社の時代」とは何であったのか ・・・筑紫磐井

長編・「結社の時代」とは何であったのか
・・・筑紫磐井

その1

ある商業誌から「結社の時代」について書いてほしいとの依頼があり、何とタイムリーな企画かと思っていたら、編集部の事情で急に途中から別のテーマに変更されてしまい、残念ながらその企画は日の目を見ないことになった。それはそれでよいのだが、考えてみると、確かに「結社の時代」が宣言されてから今年は20年目に当たる。一世を風靡した、あるいは人騒がせなキャッチフレーズだっただけに、それがどのような意味を持ったか、検証してみてもよいところだ。もともと依頼を受けて執筆するための資料を若干集め、書き始めてもいたのでちょうどいいこの場で紹介したい。

「俳句樹」「週刊俳句」の読者は若い世代が多いから十数年前に起きた「結社の時代」キャンペーン自体を知らない人々も多いだろう。少し解説をしておけば、平成初期に角川書店の「俳句」(秋山みのる編集長)が張ったキャンペーンである。実体はおいおい述べるが、いつの時代も結社は存在するから取り立てて結社の時代という必要が分からないかもしれない。じっさい、最初に結社の時代が広告されたときに後述するような藤田湘子の発言もあり、今初めて「結社の時代」の名前を聞くのと同じ素朴な疑問が一般的であったようだ。

私は「結社の時代」は雑誌編集の企画であって思想ではないと考えている(これは同時代体験をした私の感想であり、違う理解をしている人もいるであろう)、山本健吉の「純粋俳句」や金子兜太の「俳句造型論」のようなインパクトのある評論と同一視することは不可能なのだ。中核となる論考があってそれを皆が議論したわけではなく、存在するのは「結社の時代」という標語・キャッチフレーズのみ。むしろ、事件としてその社会的影響を考察すべきであろう(標語から思想を汲みとる人はいるだろうが、それはその人の思想にすぎない)。

【注】秋山みのるも、「結社の時代」ブームが終わった後、このブームを回顧して「雑誌編集者の勝負の分かれ道は、「新しいキャッチフレーズ」を発見できるかどうかにかかっている」(争論「結社誌は分裂をするべきだ」)と述べている。

*     *

「結社の時代」とは厳密にいえば、平成2年7月「俳句」が創刊500号記念特別号を迎えるにあたり編集長秋山みのるが名づけたキャッチフレーズである。以後平成6年7月まで、つまり秋山の退任まで、このフレーズを使って「俳句」の企画が展開される。言っておくがこの第1弾は、グラビアの結社紹介(1頁1誌45誌を紹介)のタイトルにすぎなかった。このテーマで長大な論文や座談会が用意されていたわけではなかった。ただ当該号の編集後記で秋山はこのように言っている。

「俳人は何に学びどこで成熟するのか。いうまでもない。結社である。結社がなければ、学ぶことはおろか成熟など一生叶わない。唯一、本物の俳句修行の場が結社である。今も昔も俳句修行とは歳月のかかるきびしい生活だ。結社はおちょぼ口で物をいう仲良しクラブではない。志を同じくした者の礼節をつくした修行の場である。教える方も学ぶ側も、今日その辺を曖昧に生きているのではないか。・・・・・今日、結社の在り方が問われているのは、結社が新しい俳句の時代をまず作ったからである。結社が結社の発言をし、結社がリードしなければ、この世紀末という時代の十年を豊かには出来ない。今、本当の結社の時代を迎えた。」(7月号編集帖)

結社の時代はここから始まるのである。もちろん、「結社がなければ、学ぶことはおろか成熟など一生叶わない」なら西東三鬼や三橋敏雄、鈴木六林男や佐藤鬼房、攝津幸彦はどのように育ったのかと反論はあるであろうが、まあこれはかけ声なのだ。立派な結社が出来るものならばそれはそれに越したことはない。問題は、「結社の在り方が問われている」というのならどのような結社を望むのかが問題となるはずである。「俳句」の「結社の時代」に対してただちに反応が起きた。例えば藤田湘子は「結社側にたつ者としては良くわかるが、そのようにいう俳句総合誌はいったいどのような編集をして行くのか、今ひとつはっきりしない」(東京新聞俳句時評)と評したのである。

秋山みのるの編集時代(昭和61年10月~平成6年7月)は、私が誌上で見る限り、①プレ「結社の時代」、②「結社の時代」隆盛期、③「結社の時代」衰亡期の3つに分かれるようである。<その1>では、このうちプレ「結社の時代」について眺めてみることにしたい。
『プレ「結社の時代」』とは秋山みのるが「結社の時代」を宣言する前に確立していた独自の編集スタイルがスタートした時期である。概ね二つの特徴が見られる。

①鼎談による時評

②実用的入門特集

まず第一は、昭和62年1月から「俳句の時代」と題した鼎談時評が始まる。それまでは対談が主流であったからこれは新しい企画であった。昭和62年のpart1は畠山譲二・土生重次・能村研三で1年間続き、以後翌年part2は宇佐見魚目・川崎展宏・原裕、3は沢木欣一・波多野爽波・岡田日郎、4は森澄雄・後藤比奈夫・上田五千石、5は星野麦丘人・有馬朗人・阿部完市、6は三橋敏雄・深見けん二・森田峠と続いた。時評は、個人による難解な時評や1つの問題を深掘りする対談が多かったのが、鼎談となることにより井戸端会議風の分かりやすい時評となって初心者には好評だったようである。この鼎談名称にならって、プレ「結社の時代」は「俳句の時代」と呼んでよいだろうと思う。もちろん、この「俳句の時代」をもじって「結社の時代」のキャッチフレーズは生まれている。「俳句の時代」ではあまりに一般的すぎてキャッチフレーズたり得なかったのである。

次に実用的入門特集であるが、今ちなみに、62年~平成2年までの特集を眺めると、<上達><魅力的><上手くなる><実力俳人><実作者>(価値にかかわる特有語)や<入門><方法><作り方><詠み方><選び方>(方法論にかかわる特有語)という修飾語を満載した表題の特集が続く。これはおよそ昭和63年春ごろから始まるとみてよい。「結社の時代」を論じる前にこれらを確認してみておくことが必要である。なぜなら、この秋山流の編集手法はプレ「結社の時代」も「結社の時代」も通底音として秋山の編集の背景に横たわっているからである。

俳句ジャーナリズムにおける編集手法については、『俳句教養講座第3巻/俳句の広がり』(角川学芸出版)の「俳句ジャーナリズム」で詳しく述べたように、戦前の改造社版「俳句研究」と戦後の「俳句」で顕著に異なるところがあった(私が『俳句教養講座』で対象にしたのは、昭和30年代までの「俳句」だったが)。特に戦後の「俳句」の編集方針で際立ったのは、ある世代作家を集団として売り出すシリーズが採用されたことで、例えば戦後派世代(金子兜太、飯田龍太、森澄雄、角川源義など)や昭和一桁世代(鷹羽狩行、上田五千石、岡本眸など)などのシリーズが繰り返し行われ(<現代の作家>シリーズ(昭和43年)、<現代の風狂>シリーズ(昭和46年)、<期待する作家>シリーズ(昭和48年)、<現代の俳人>シリーズ(昭和54年)などと続く)、いわば戦後俳壇の秩序づくりに貢献してきたのである。秋山みのるが登場する前、ないし編集長に就任してしばらくまではこうした編集方式がしばしば採用されてきた。たとえば、秋山の直前の編集長であった福田敏幸の、秋山に変わる直前の企画を眺めてみるとシリーズ化はしていないもののこんな特集が並ぶ。

●福田敏幸編集時代の企画(作家論特集)
飯田竜太[昭和61.1]
遠藤梧逸[昭和61.2]
清崎敏郎[昭和61.4]
山上樹実雄[昭和61.5]
波多野爽波特集[昭和61.6]
沢木欣一特集[昭和61.8]
森田峠特集[昭和61.9]

あるいは、「俳句」と並行して出された角川系の富士見書房版「俳句研究」の特集も、比較手著名作家論が多いようである。このようにいずれも正統的な俳句雑誌編集が行われていたのである。

●富士見書房版「俳句研究」の企画(作家論特集)
高浜虚子論-1- [昭和60.3]
高浜虚子論-2- [昭和60.5]
滝春一研究[昭和60.6]
森澄雄の世界[昭和61.1]
細見綾子の世界[昭和61.3]
岡本眸の世界[昭和61.4]
高浜虚子[昭和62.4]
石田波郷の世界[昭和62.7]

秋山みのる時代も、しばらくこうした企画が続いた(秋山編集時代にあっては、畠山譲二[昭和61.11] 、角川照子 [昭和61.12]、鈴木真砂女[昭和62.1]から始まり、宇佐美魚目 [平成元.8] で終わっている)が、平成元年半ばごろからこうした作家論はぴたりと見られなくなる。代わりにこれと前後して登場するのが、実用的入門特集である。そこで、昭和61年(福田敏幸編集長時代)から、平成6年8月(秋山みのるが残した最後の編集企画と推測される)までの作家論特集以外の「俳句」における特集をすべて挙げてみる(ほぼもれなく拾ってみたつもりであるが、句集特集のようなもので省いているものもある)。両者の相違がよくわかるであろう。

●福田敏幸編集時代の特集
伝統と前衛と--30年代俳句の意味[昭和61.2]
原石鼎生誕100年[昭和61.3]
現代俳句の現況と未来-1- [昭和61.4]
現代俳句の現況と未来-2- [昭和61.5]
蛇笏賞の20年 [昭和61.7]
現代俳諧考[昭和61.9]

●秋山みのる編集時代の特集
私にとっての師の一句[昭和61.10]
いま俳句に何を考えるか--業俳と遊俳[昭和62.1]
わが秘密の俳句[昭和62.2]
楸邨・青畝特集[昭和62.3]
歳時記の歴史と使用法[昭和62.3]
俳の花と贅<特集> [昭和62.4]
日常詠--春一・時彦・兜太の近業をめぐって[昭和62.5]
花鳥諷詠の時代[昭和62.7]
夏の歳時記にしひがし[昭和62.8]
庵から--いま、俳句が変わる[昭和62.9]
最新季語入門--季の魅力[昭和62.10]
さすらい--俳句と旅[昭和62.11]
入門 旅の歳時記[昭和63.1]
現代俳句の基礎と実用法[昭和63.2]
現代俳句季語の置き方選び方[昭和63.3]
いま俳句をこう考える[昭和63.3]
現代俳句を上手に作る方法[昭和63.4]
入門現代俳句の地名歳時記[昭和63.5]
現代俳句の基礎と魅力の上達編[昭和63.7]
山本健吉の世界[昭和63.8]
現代花の俳句歳時記[昭和63.9]
現代俳句基本季語の使用法[昭和63.10]
写生と吟行の上達法[昭和63.11]
入門 旅と食の俳句歳時記[昭和63.12]
現代俳句最新重要季語の新しい詠み方[平成元.1]
ここまでできる俳句実作の上達法[平成元.2]
新時代の俳句上達法 [平成元.3]
身につく上手な俳句の作り方[平成元.4]
吟行から句会までの実作上達法[平成元.5]
入門昭和俳句の雪月花[平成元.6]
自分の俳句が今より巧くなる季語の選び方[平成元.7]
俳句の時代の花鳥諷詠[平成元.8]
入門旅の句と花の句の上達法[平成元.9]
これからの俳句の作り方はこう変わる[平成元.10]
これだけ学べば魅力的な俳句実作者になれる[平成元.11]
現代俳句入門大全集[平成元.12]
こうすれば旅吟と写生が巧くなる[平成2.1]
現代の実作者にもっとも重要な俳句上達法[平成2.2]
一句実作の上達と完成の方法[平成2.3]
実作季語の選択力と歳時記の活用法[平成2.4]
魅力的な実作者になるための条件と方法[平成2.5]
魅力的な実作者になるための季語の選び方[平成2.6]
これだけ学べば写生と吟行の実力俳人になれる[平成2.7]
はじめて公開される俳句上達法[平成2.8]
俳句上達の決定的なチャンスをつかむ時[平成2.9]
「結社の時代」の俳句上達法[平成2.10]
新編・俳句入門大全集[平成2.11]
定型の時代の俳句上達法[平成2.12]
結社の時代の徹底写生と吟行法[平成3.1]
学んで秀句読んで名句を作る俳句入門[平成3.2]
選句の未公開基準と俳句上達の大条件[平成3.3]
魅力的実作者になるための意外な条件[平成3.4]
今日の旅吟の実力俳人になるための具体的条件の初公開[平成3.5]
思い切った季語の使い方と確実に写生の実力をつける方法[平成3.6]
投句の未公開添削と切字上達の決定条件[平成3.7]
結社の時代のための女流俳人の実作上達法[平成3.8]
現代結社の実作当季雑詠のための基礎講座[平成3.9]
ここまできている結社の俳句の新しい作り方[平成3.10]
現代俳句名吟の<もの>のつかみ方と<季語>の秀品[平成3.11]
基本俳句の上達法[平成3.12]
写生に失敗しないで旅吟が巧くなる方法[平成4.1]
あなたの俳句上達を妨げている危険な作句法[平成4.2]
面白いほど吟行句が生れ正確な季語を選ぶ方法[平成4.3]
今日の俳句実作入門講座[平成4.4]
これだけある実作者の気付かない作句上の間違い[平成4.5]
知ってるつもりで知らない俳句上達実用季語[平成4.6]
作句技法を身につけるのが俳句上達の最良の方法か[平成4.7]
特選俳句の上達法6つの主題と技術[平成4.8]
いまから吟行が巧くなり類句・類想を上手に避ける[平成4.9]
魅力的な吟行句の上達を妨げる危険な写生法41(10) [平成4.10]
有名無名に関係なく心に残る本当の実力俳人になる[平成4.11]
今よりもう少し俳句が上手になる方法[平成4.12]
平明な写生ともう一歩踏みこんだ吟行句の作り方[平成5.1]
誰も気付かなかった年齢別俳句入門[平成5.2]
名句に作句写生を学び秀句の技を得る[平成5.3]
実力俳人による俳句開眼実践講座[平成5.4]
まことの俳句作法は老いにあり[平成5.5]
俳句上達に欠かせない投句作法と俳句技法[平成5.6]
自分のための吟行上達実作技法により名句秀句を手中にする[平成5.7]
俳句の"現代"は今どのあたりか[平成5.8]
これを身につければ俳句が巧くなる決定的条件[平成5.8]
入門女流俳句の現在[平成5.9]
俳句という「軽み」の思索[平成5.10]
自分らしさを巧く出せる俳句実作上達法[平成5.10]
俳句の原点を問う-2-"結社の時代"の俳句姿勢を問う[平成5.11]
いまの俳句が巧くなる実作改造法[平成5.11]
俳句の原点を問う-3-今日の主宰選句の俳句姿勢を問う[平成5.12]
これ以上ない実作俳句開眼の特別決定版[平成5.12]
俳句自由俳句上達[平成6.1]
自分の俳句を見つけ早く俳句が上達する講座[平成6.2]
俳句が上達する8つの最善の方法[平成6.3]
今日の俳句実作にもっとも有効な季語の手引き[平成6.4]
秀れた吟行句と価値ある投句の方法[平成6.5]
上達をはばむ作句上の危険な間違い[平成6.6]
はじめて公開される面白く写生された吟行句の正しい作り方[平成6.7]
今日の俳句の上達法秘密[平成6.8]

前述した通り、<上達><魅力的><上手くなる><実力俳人><実作者><入門><方法><作り方><詠み方><選び方>に充ち満ちているのがよく分かる(これはあくまで表題にのみ関する分析であるが)。

言えることは昭和63年春ごろから「上達法」に代表される実用的入門特集が倦むことなく繰り返され、やがて「結社の時代」と結合していくということである。その意味では、「結社の時代」の内実が「上達法」であったと考えることによって藤田湘子の疑問にも答えることになると考えられるのである。そして、秋山みのるの退任後新しい編集部はこの方針を維持せず、正統的な編集方針に復帰しようとしているようである。「上達法」の記事がないわけではないが(これからの俳句上達法--「見る」ことをめぐって[平成7.3] 、俳句の「ことば」が輝くためのポイント[平成7.6] 、俳句上達の急所[平成7.8]など )、その特集はおおむね著名作家論に回帰するのである。秋山が編集長を退任した時期及びその翌年の特集を眺めてみるが、実に創業以来の正統的で重厚な特集であった。

【注】ちなみに、角川書店「俳句」の創刊(昭和27年6月)直後の特集を見てみると、「高濱虚子特集」[昭和27.7]、「水原秋桜子特集」[昭和27.9]、「飯田蛇笏特集」[昭和27.11]、「山口誓子特集」[昭和28.2]と続いている。

●今秀巳時代の特集
石田波郷と療養俳句[平成6.10]
時代と生きた日野草城の魅力[平成6.12]
中村汀女とその生きた時代[平成7.2]
高浜虚子とその時代[平成7.4]
放浪の俳人--山頭火の生涯[平成7.7]
水原秋桜子と昭和時代[平成7.11]

しかしこれで、「上達法」の時代が終わったと見るのは早計である。「結社の時代」が終わったことは<その2>で説明したいと思うが、「上達法」の時代は必ずしもそうした検証を果たしていない。
実際興味深いのは、秋山の就任中のキャッチフレーズを眺めてみるとこんな推移があったようなのである。「俳句の時代」(昭和62年)→「結社の時代」(平成2年7月)→「俳句元年/俳句開眼」(平成5年)→「俳句自由/俳句上達」(平成6年)。「結社の時代」以外は副題と見るべきかもしれないが、私はより本質に即していたのは「結社の時代」よりは「俳句開眼」「俳句上達」であったという気がしてならない。湘子の辛辣な質問を見るたびにそう思うのである。

秋山は、前述のように「雑誌編集者の勝負の分かれ道は、「新しいキャッチフレーズ」を発見できるかどうかにかかっている」といい「わたくしの場合は、自らのたてたフレーズをすぐに打ち壊していくのが、商業雑誌の仕事であった」(争論「結社誌は分裂をするべきだ」)と述べている。不死鳥のように新しいキャッチフレーズが甦るからむしろその本質を的確に見定めなければならないだろう。その意味で、「俳句上達」は「結社の時代」以上に秋山的である。

およそ、俳句は芭蕉以来「わび」「さび」「軽み」から始まり「まこと」とか「新味」をへて近代俳句の理念に到達する。社会性も前衛もその意味では同じ水平線上にあった。常に読むべき対象心情がキャッチフレーズとして叫ばれた。「俳句上達」は内心に懐いていたかも知れないが、歴代の俳聖、巨匠も口にしなかった言葉だ。それを秋山は軽々と俳句の理念にしてしまった。いわばパンドラの箱を開けたのが秋山みのるだったということになる。開いたパンドラの箱はもう取り返しがつかない、あの時代を経て俳句は全く違ったものとなってしまったと私には見える。

実際、現代の俳句の至上の理念は「俳句上達」である。多くの賞の評価基準は「俳句上達」である。また、これからどんな若い世代が登場しようとも、「俳句上達」の枠の中で活躍するに止まるのではなかろうか。なぜなら彼らは「俳句上達」以外の俳句を知らないから。その意味では高尚な理念をうたった芭蕉・蕪村・正岡子規・水原秋桜子・中村草田男・加藤楸邨らは古典文学としては残っても、秋山の引いた現代俳句の路線から隔離されている。「俳句上達」の視点から芭蕉や草田男を見ることは不可能ではないだろうが、それだけでは彼らに対する冒涜であろう。しかし一方では、そうしたものを必要としなくなっているのが「現代俳句」ででもあるのではないか。

見てもわかるとおり、「俳句上達」の時代は「結社の時代」より長く7年ほど続いた。「実力俳人になるための具体的条件の初公開」のようなテーマの下に、十人、二十人の寄稿者(それも主宰者)が短編評論(むしろ俳話)を毎月執筆している。その中には、飯田龍太や森澄雄のような作家さえ混じっていた。こうした特集を書き続けることによって多くの俳人の意識が知らず知らず変化する。秋山が「俳句」の編集長を辞めてもその潮流に変化は起きないまでに構造が変わっていたのである。その意味では、秋山みのるはよいか悪いかは別として、現代俳句の爛熟した隆盛の最大の功績者となったのである。あらゆる称賛も批判もここに帰すべきである。


その2 

「結社の時代」を宣言した平成2年7月号が「結社の時代」第1弾とされているが、彼のいう第2弾は「特別企画結社の時代」としてグラビア頁(1頁1誌28誌)が設けられる一方、「結社の時代の俳句上達法」という大特集(吟行句、句会、季語、植物季語、動物季語、地理季語、天文時候季語、生活季語、行事季語の詠み方を主宰者たち16人が半頁ずつ書いている)を含めた10月号だという。<その1>で述べたように「結社の時代」と「上達法」が結びついた姿を、これはじつによく示していると思う。
実はこれ以前に、9月号で「結社の時代の女流作品大特集」という特集が組まれているし、「俳句の時代を読むp-4」森澄雄・後藤比奈夫・上田五千石のシリーズでも、「結社の時代の俳句とはどうあるべきか」(平成2年9月)、「結社の時代の女流俳句入門」(同11月)などの中で副次的にキャッチコピーが打たれており、「結社の時代」に向けていっぱいに舵が切り替えられて行く様子がよく分かる。

「“結社の時代”という認識の向こうに視える俳句とは何か。問題を解く時代は終わった。今は問題そのものを創り組み立てることが重要だ。・・・・定型は日本人の生命の泉である。日本人の生命論にもっとも深くかかわってきた文学が、短歌であり、俳句であったのだ。結社はその生命論の核の一つ一つである。定型の核が結社である。結社は定型という文学の母胎なのだ。“結社の時代”とは、“定型の時代”への命なのだ」(11月号編集帖) 

「“結社の時代”である。今日、この認識は避けられないことである。しかし、“結社の時代”という認識は、今年まだ緒についたばかりである。・・・・“結社の時代”という認識は、よやく今年走り出したばかりである。この認識が作品の闘争を生み出し、結社が新しい時代を生み出すかどうか、これからの定型の現場に正確に現れることと思う。それを切に願う」(12月号編集帖)

以後平成4年半ばまでを私は「結社の時代・隆盛期」と名付けて無条件に秋山のキャッチフレーズが活用された時期と見ている。おそらくその頂点が「俳句」創刊40周年を記念した特別企画の阿波野青畝・加藤楸邨のBIG対談「俳句・愛情・結社」と「現代結社探訪--結社300」(結社の賀詞交換のような名刺が張り付けてあるだけの無味乾燥な膨大な頁であるが、おそらく「結社の時代」に賛同した結社が掲載を依頼したものであろう。300に及ぶというのがすごい)[共に平成4.8]であったろうと思う。青畝・楸邨という当時存命している現代俳句の頂点の二人が「結社の時代」に呼応した座談会に出席してくれたのであるから秋山の得意思うべし、である。平成5年にこの二人は相次いで亡くなるが、「俳句」は大量の頁を割いて緊急追悼を行っている。この時の恩に報いたことになるのであろう。いずれにしても、この平成4年8月号は「結社の時代」の地上天国のような特集となるべきであった。
しかし、まさにこの時期に俳壇に暗雲激震が走る。飯田龍太の「雲母」終刊の決定である。既に知られるように、龍太は「雲母」終刊を決意し、平成4年6月下旬に結社・マスコミ関係者に終刊の意向を伝え(これは地上天国に当たる「俳句」8月号の編集の最中である)、7月号の「雲母」に終刊の辞を掲げ、8月号をもって終刊する。この中で龍太は、俳句界の態様の変化として、俳句誌の異常な増加、主宰者交替と近親者による世襲が数多く、しかもそのことが易々と行われるようになったこと。特に安易な承継は俳句の質の向上を望むとき、好ましい流行ではない、その点に関し自分の「雲母」承継にも一端の責任があるのではないか胸の痛みをおぼえた、と述べている。一見するとこれは結社の時代の終焉を告げているようにも見えた。

したがって、「結社の時代」の頂点を迎えた時期、平成4年8月から「結社の時代」は衰亡を迎える。「結社の時代」に対するエキセントリックな特集が始まるのはこの時期からで、私はこれを「結社の時代・衰亡期」と呼んでいる。この時期の特徴的な企画は、多くは結社の時代の初期と同様グラビアを活用した視覚的な企画となっている。危機管理的な状況で行われたそれら特集・企画を掲げてみる。

●平成4年
緊急企画「どうなる結社の時代」[平成4.8]
飯田龍太「雲母」終刊を考える――現代俳句と結社のゆくえ(座談会)[平成4.10]
緊急特別企画「今日の結社・俳句・俳人(飯田龍太)」[平成4.11]
緊急特別企画「[結社の時代]から<総合誌の時代>へ」[平成4.12]
●平成5年(新キャッチフレーズ「俳句元年――俳句開眼」)
特別企画「平成俳句は結社の時代から」[平成5.4]
特別企画「まことの俳句作法は老いにあり」[平成5.5]
特別企画「俳句を伝える(山本健吉)」[平成5.6]
特別企画「蛇笏賞(飯田龍太)」[平成5.7]
新企画シリーズ
俳句の原点を問う第1回緊急特集「俳人・角川春樹の俳句姿勢を問う」[平成5.10]
俳句の原点を問う第2回緊急特集「“結社の時代”の俳句姿勢を問う」(座談会)[平成5.11]   
俳句の原点を問う第3回「今日の主宰選句の俳句姿勢を問う」(座談会) [平成5.12]
●平成6年(新キャッチフレーズ「俳句自由――俳句上達」)
創刊550号記念特別企画「細分化する結社の時代」[平成6.5]
特別企画「どこへゆく結社の時代」[平成6.7]
特別企画「複数を頼りの文学」[平成6.8]

多少詳しく内容を眺めてみよう。
緊急企画「どうなる結社の時代」は龍太の「雲母」終刊宣言をルポルタージュ風に報告し、結社の時代をプロモートしたのが「俳句」であることを述べつつ、雲母終刊の報を聞いて快哉を叫んだ桂信子の発言を引いて、「いえることは、今後の結社の作品にかかっているのではないか」と歯切れ悪く結ぶ。

緊急特別企画「[結社の時代]から<総合誌の時代>へ」は龍太の<『雲母』の終刊について>を忠実に引きつつ、30年の間に読者(=実作者)は考えられないような地殻変動を起こし、読者と主宰者の間に相当の距離を生んでしまった、読者(=実作者)はよりトリビアルな実作指導を求めているのが実際の現状なのである、そこでどのような俳句開眼をするのかが読者(=実作者)の今日の課題である、「結社の時代」とは結社と綜合誌が俳句に何を出来るかを競う時代でもある、平成5年は綜合誌が結社に問われる時代なのである、と結ぶ。ここでは明確に結社の時代が、俳句上達の時代であり、俳句開眼の時代であることを宣言する。

新企画シリーズ「俳句の原点を問う」は3回にわたり作家の<俳句姿勢を問う>をシリーズ化しているが、その第1回緊急特集が「俳人・角川春樹の俳句姿勢を問う」であり、平成5年8月麻薬取締法違反で逮捕、のち千葉刑務所に拘留された角川春樹を論じたものである。翌号では同時に春樹の俳句新作51句を掲載している。

創刊550号記念特別企画「細分化する結社の時代」は結社の個性が喪失している時代の特色を挙げ、ちかごろ山口誓子の「天狼」が8つの小結社に分裂した事実を指摘しかつて結社が経験しなかった結社の大量細分化の時代を迎えたことと併せて、純粋な結社精神の新しい在り方こそがより広く深い俳句への道を指し示すことになるという。しかし残念ながら結社精神が何であるのかは述べていない。秋山の言葉からすると、どうやら誓子や草田男にはあったらしいが、今は求められこそすれ、現実には存在していないようなのだ(だからこそ提言しているのであろうが)。

最後の特別企画「複数を頼りの文学」は秋山が既に「俳句」編集長を退任した号に掲載されているが、秋山の最後の担当と見てよいだろう、次号以降この企画は廃止されている。ここでは桂信子の「この数年程の間に俳句人口もますます増加しはちきれんばかりにふくれ上がってしまった。その割に中身は昔と比べても優れているとは思えない。総合誌の数も次から次へとふえ、まだ増えそうな気配。それにつれて俳人も右往左往する」「「結社の時代」とは「結社をもつ時代」という誤解を生み、別に理念はもたなくとも主宰者になりさえすればいいという風潮を生んだ」「「このままでゆけば巨大な石が谷底へころがりこむようにとめどなくふくれ上がった俳句がころがり落ちてゆくのが私には目に見える」という批判、後藤比奈夫の「さりげなく投じられた「結社の時代」という輝かしい言葉に、めくらましに会って、先が見えるどころか、暗がりに沈みかかっている、いまの結社状況」「私個人の見解からすれば、文芸の世界で、俳誌が一つ滅びたり生まれたりすることは、別にそれほど大したことではない」という批判に力なく反論し、俳句は複数の文学であり、複数の場に育ち、花咲き、突然化ける、のだという。ただ比奈夫の「結社側はひたすら努力して平成の名句、名人を輩出しなければならない」には賛成するとし、そして(桂が最初に批判をした以後の)3年間に平成の名句、名人を幾人輩出したかと反省する。しかし、その原因については急に龍太の発言を引用し、数多くの総合誌・結社誌にある月評・結社誌評に書き手の眼力、作品評価の基準がないためだとしている。とはいえ、龍太は大衆文芸としての俳句の評価の難しさを指摘し様々な評価があることだけは許容していた、秋山はそれを踏まえてふたたび「俳句は、複数を頼りの文学である」と結び、「俳句」の編集長を去ってゆく。つまり、俳句には秀抜な評価者・評論家は要らないということが彼の最後のメッセージであった。

以上見た通り「緊急」「特別」の字が躍っていることからもこれらが性急な特集であったことが分かるだろう。もはや脳天気に「結社の時代」を謳歌していればすむわけではなく、「どうなる」「どこへ行く」と問いかけ、「俳句姿勢を問」い、シャビーに陥って行く結社の時代への危機意識を訴えるのである。かといって、それらを読む限りにおいて答があるようには見えない。「俳句元年――俳句開眼」「俳句自由――俳句上達」の副次的なキャッチフレーズも、「結社の時代」だけでは支えきれなくなった状態を物語っているようだ。

特にこの「緊急企画」「特別企画」は秋山みのる自身の発言が提示されているものが多い。上に解説したものはすべてそうだと思われる。「俳句」ではこのほかに平成3年5月以降<俳句新聞>というコラムを設け、かなり自由に話題を取り上げ時に自説を展開している。後に「俳句界」の顧問となった時も、様々な巻頭提言を執筆していたのと同様の、発信する編集者のスタイルを確立していたのである。

このように、隆盛期と衰亡期を含めての特徴は、

①発信する編集者

②作家中心から結社中心

で表わされよう。②の作家中心から結社中心については、<その1>で述べた作家論の減衰と前後して現れた結社紹介グラビア(だいたい、1結社1頁の中で、数行の簡単な結社紹介と主要同人5人、俊英同人10人の1句が紹介されている)で確認された通りである。
これで「結社の時代」は終わるのだが、これだけでは読者は釈然としないだろうから後日談を語ることにする。角川書店の「俳句」と秋山みのる個人についての後日談である。

その後の「俳句」では「結社の時代」のキャッチフレーズを掲げていないが、これは結社を否定しているわけではないことは明らかである。ときおり、「俳句」への執筆者が結社に対する批判は述べているが、「俳句」という雑誌そのものの方針ではないからだ。例えば筑紫磐井<大正八年組>傘寿記念大特集「連帯から生まれた個性―――決して結社では学べないこと」[平成11.4]、坪内稔典現代俳句時評「結社の次の時代へ」[平成12.12]程度のものであろう。その意味で画期的なのは、大特集「結社と句会の功罪」[平成16.9]であり、編集部そのものが結社のマイナスとプラスを言明しているのである。
「結社や句会はどのような変遷を経てきたのか、現在どのような問題を抱えているのか、そしてこれからはどうあるべきなのか。言うまでもなく、そこには創作の世界における個人と組織の問題がある」が問題意識であった。筑紫磐井・マブソン青眼・岩淵喜代子の座談会「結社と句会に新たな風を」と12人の俳人へのアンケートからなっているが、特に座談会は、結社から離脱して同人誌を発行している筑紫・岩淵と、日本的結社意識を持たないマブソンが論じているわけであるから結社に対しては基本的に批判的であった。これをもって「俳句」は「結社の時代」からの呪縛を解かれたと見てもよいのではないか。もちろん、大特集「近代結社の師系」[平成17.4]のようなものも時折あったが、「俳句」にあっては結社中心の特集は目立たなくなっている。

一方の秋山は、「俳句」編集長退任後、「俳句朝日」顧問・編集、北溟社「俳句界」編集顧問、文学の森「俳句界」編集顧問を勤めていたが、平成17年11月の「俳句界」では「結社誌・同人誌の創刊ブームを検証する」を特集する中で、秋山は久しぶりにこの問題について発言する。

「わたくしの言いたいのは、結社誌に対する的確な評価である。こんな雑誌なら、廃刊にしたほうがいい、百害あって一利なしだ、という評価の目を持ってもいいのではないだろうか、ということだ」
「俳句結社としての主題(テーマ)をまったく喪失している結社。文学運動としてのいかなる俳句信条も明らかにしていない結社、俳句結社を主宰者の財産としてしか認識していない結社。そういう結社は分裂もしくは廃刊にする方がいいのではないか。したがってこれからは、結社誌数を減らし、結社俳人を少なくしてゆくのが総合誌の新しい仕事ではないだろうか」
「まず総合誌のこれからの役割としてはっきり言えるのは、結社誌、つまり結社の出版する俳句雑誌を分裂させることにある、ということだ。とくに面白くない俳句雑誌は勇気をもって廃刊してもらう。・・・結社が俳句雑誌を出すことのみに身を削るなど、ただただ無駄なことである。」
「もはや『結社の時代』は終った。今日必要なのは、こころざしをもった結社と優れた俳人のみである」(争論「結社誌は分裂をするべきだ」)

命名者が終焉を宣言しているのだからこれくらい確かなことはあるまい。「結社の時代」という言葉が生まれてから滅びるまで、15年の時間が流れたわけである。そしてここで秋山のいう「こころざしをもった結社と優れた俳人」が必要という結論にも全く異論がない。問題は、秋山が作ったもうひとつの潮流である「俳句上達」の風潮が、「こころざしをもった結社と優れた俳人」の回復には役立っていない、という事実であろう。それは<その1>に述べたとおりである。秋山は平成19年2月に「俳句界」顧問を辞職、平成19年11月に亡くなっている。まさに時代そのままの人であった。

【注】昭和62年から平成6年までという時期が商業系出版にとってどのような時代であったかを多少補足説明しておく。当時の新興俳句出版社である牧羊社が積極的に句集出版に乗り出すとともに商業誌「俳句とエッセイ」(昭和48年~平成6年)を刊行した。昭和63年~平成4年に毎年100冊以上の句集を出版したようだ(平成5年以降は急激に激減し、平成7年にはほとんど皆無となってしまっている)が、特に「処女句集シリーズ」と銘打って昭和59年~平成5年にかけて200人になんなんとする若手の廉価版句集(1000円・70頁)を俳壇に送り出した。これ及びこれに関連したシリーズで登場した若手が現代の俳句中堅作家となっているのは『新撰21』の趣意書などの中で述べたとおりである。

一方、高柳重信が編集に当たっていた俳句研究新社版「俳句研究」は昭和60年9月に終刊し、角川系の富士見書房版「俳句研究」が昭和61年1月から始まる(平成19年9月終刊。後に角川SSコミュニケーションズで季刊・限定販売で復刊している)。このように商業誌競合の時代が始まるのであり、「結社の時代」以上に「商業誌の時代」であったのである。

ちなみに秋山が「俳句」編集長を退任した直後の平成7年5・6月から「俳句朝日」が創刊される(平成19年6月終刊)。
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