■「海程」meets髙柳克弘/「秩父音頭」編
・・・宮崎斗士
宮崎:それではここらへんでぜひ会場の皆様にもトークにご参加願いたいのですが‥‥。お手元のレジュメ(二枚綴り。一枚目に髙柳さんプロフィール、二枚目に髙柳さんの代表50句を掲載)もご参照の上、ご感想、ご意見、髙柳さんへのご質問、髙柳さんの作品についてなど、何でもご自由にどうぞ。
髙柳克弘・代表50句(髙柳さんご本人による抄出)
ことごとく未踏なりけり冬の星
雨よりも人しづかなるさくらかな
名曲に名作に夏痩せにけり
百人横断一人転倒油照
羽蟻の夜パントマイムの男泣く
霧深く別の星めく渚かな
木犀や同棲二年目の畳
如月や鳥籠昏きところなし
蝶ふれしところよりわれくづるるか
桜貝たくさん落ちてゐて要らず
つまみたる夏蝶トランプの厚さ
わが部屋のきれいな四角夏痩す
光速の素質ありけり黒揚羽
揚羽追ふこころ揚羽と行つたきり
うみどりのみなましろなる帰省かな
秋の暮歯車無数にてしづか
どの樹にも告げずきさらぎ婚約す
少女寝て人形起きてゐる朧
ストローの向き変はりたる春の風
キューピーの翼小さしみなみかぜ
充電のあひだ寒潮見てゐたり
諸鳥を落さぬ空や大旦
何もみてをらぬ眼や手毬つく
枯原の蛇口ひねれば生きてをり
読みきれぬ古人のうたや雪解川
魚を見るごとく人みて桜守
盛り場のにほひが髪に花ざくろ
くろあげは時計は時の意のまゝに
ゆふかぜのあとかたもなき白地かな
秋蝶やアリスはふつとゐなくなる
文旦が家族のだれからも見ゆる
五月雨や籠鳥は餌をないがしろ
薫風や晩年のランボオに髭
まつしろに花のごとくに蛆湧ける
牽かれつつ打たれつつ馬肥ゆるなり
秋草や厨子王にぐる徒跣
うなそこは波音知らず天の川
缶詰の蓋に油や冬の滝
紙の上のことばのさびしみやこどり
祖の骨出るわでるわと野老掘
白靴や鷗にかろさおよばねど
亡びゆくあかるさを蟹走りけり
入れかはり立ちかはり蠅たかりけり
あをぎりや灯は夜をゆたかにす
洋梨とタイプライター日が昇る
heureka(ヘウレーカ)木の実に頭打たれけり
死ねとすぐいふ子に秋の金魚かな
ダウンジャケット金網の跡すぐ消ゆる
『未踏』以後
霧の来ること知つてゐる睫かな
眠れざるこどもの数よ春の星
−芭蕉の研究を続けてこられたとのことですが、髙柳さんの「芭蕉への思い」をぜひお聞かせ願えればと‥‥。
髙柳:芭蕉の句の中で「菰を着て誰人います花の春」というのがあるんですけど、何かこの句に私すごく衝撃を受けまして、おそらく捨聖(世俗の全てを捨てて遊行する聖)のことを詠んでいるんだと思うんですけど、この世に馴染まない人、世の中の価値観の外で生きている存在というものを掬いとってゆくというのが俳句なんだな、というふうに思って、それに比べて今自分が作っているものとか、現代の俳句で作られているものとかというのは、どうも綺麗なものとか、あらかじめ美しいと決まっているものっていう、そういうところを詠むことにどうも偏っているんではないかと思うんですね。だからその意味で、芭蕉のそういう、京都を中心とした文化に対する反骨精神みたいなもの、そこに非常に共感するところがあります。
−御作を拝見して、現代を見つめていこうという意志が感じられるところに私は興味を持ちました。
死ねとすぐいふ子に秋の金魚かな
眠れざるこどもの数よ春の星
この二句には、今を生きる子供たちの姿が描かれています。
髙柳:ありがとうございます。
−今年角川から出た『金子兜太の世界』の中で、髙柳さんが金子主宰の破調の句を選んでおられるんですけど、一応立場的には俳人協会系の伝統的な師系におられるわけで、そういう破調についてはどうお考えなのか。あと金子兜太の中でどういう作品がお好きでしょうか。
髙柳:私の場合、何もこだわりなく面白い句は面白いと言っているものですから、自分自身もあんまりこう前衛っぽい句とか伝統っぽく作ろうというような意識はないんですね。
あの、兜太先生の句では『金子兜太の世界』でも取り上げたんですけど、「きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の中」。あの句、好きなんですね。すごい句ですね、勢いがあって‥‥。兜太先生は「土」というものを大事にされてますけど、やはりどうしても私なんかは暮らしぶりからやはり土が遠いものですから、こういう土の匂いのする、土の温みっていうんですかね‥‥温かさがあるような句っていうのは兜太先生の中でも特に好きで、「きょお!」というのも汽車のことを詠んでいるんですけど、一匹の獣みたいにも見えてきて、そこが面白いですね。
−さっき結社のお話が出ていたので、結社についてお聞きしたいと思うんですけど、「海程」の句会は開かれていて、誰でも出入り自由なのですが、伺ったところによると、「鷹」の句会というのは会員や所属者のみで行われている、けっこう閉じた句会であるとのこと。そういう開かれた句会と閉じた句会との違いというのが明確にあるような気がしたんですけれども、その点に関してはどうお考えですか。
髙柳:そうですね‥‥。でもそんなに私自身は開かれているか閉じているかによって大きく句会の意味が変わってくるかと言ったら、そうでもないのかなと思うんですけどね。結局、まあ確かに結社は横の繋がりというもの、一緒に句会をするメンバーとの繋がりがありますけど、やっぱり自分が師匠に対してどう向き合うかということ、そこが軸になってくると思いますから、そこさえしっかりしていけば、閉じていても広い視野を持つことができるでしょうし、逆に開かれた句会においても価値観の相対化に悩まされなくてもすむんじゃないか、と思います。
−『新撰21』を拝見したところ、髙柳さんの100句の中で「鳥籠」関連の句が4句あったのですが、「鳥籠」に対して何か思い入れがおありでしょうか。
髙柳:私の100句の中で、4句もあるんですか?(笑)
宮崎:(『新撰21』をチェック)あ、ありますね。
如月や鳥籠昏きところなし
籠抜けて花喰ふ鳥となりにけり
はばたきに鳥籠揺るる秋思かな
五月雨や籠鳥は餌をないがしろ
ご自身では、なかなかお気づきにならない(笑)。
髙柳:全然意識なかったんですけど‥‥何でしょうね。私自身の記憶の中で鳥籠が出てくるのは、小さい時におばあちゃんに「目白が飼いたい」とねだったことがあったんですね。すごくねだって、わがまま言って、買ってもらったんですけど、その鳥籠を吊しておいたら、次の日猫が飛びついて殺しちゃったんですよ。それですごい悲しくてわんわん泣いたという。
宮崎:次の日ですか!?
髙柳:はい。で、鳥籠だけぽつんと‥‥。
宮崎:それ何か残ってますよ、絶対。
髙柳:トラウマが(笑)。
−作品、本当に端正な、と言いますか‥‥非常にいいですよね。題材がほとんどこう日常のものって言うんですかね。やっぱり季語が非常に重要な役割を果たしているような気がするんですよね。髙柳さんの発想力、発想する時って、どういった感じでしょう。季語の斡旋とかも。
髙柳:東京に出てきてから、あんまり季語の体験ってできてないような感じがして。でも俳句って季語で作るじゃないですか。だからどうしても過去の、まだ浜松にいた頃の記憶を引っぱり出して、そこのイメージで作っていくことが多いかなと思いますね。
宮崎:浜松では、やはり自然に囲まれた環境で?
髙柳:そうですね。海も山もあって、野生児のような感じでしたので。
宮崎:じゃその時吸収した、いろいろな自然の風物を。
髙柳:揚羽蝶に会った記憶とか、南風を感じた記憶‥‥。
宮崎:やはり東京では‥‥。
髙柳:もちろん東京でもそういったものはあるんでしょうけどね。でも自分の中でそれらがまだ身に沿ってないというか(笑)。東京で見る黒揚羽と、故郷で見た黒揚羽、やっぱり故郷で見た方が何か本物だ、という感じがどうしてもしちゃうんですよね。
−髙柳さんは俳句研究賞に50句応募なさった時、何句ぐらいお作りになりましたか。いろんな賞をとられたから今から大変! 今後どういう方へ向かって俳句を続けていこうと考えておられますか。
髙柳:「一日10句」を三年間続けた湘子の弟子としてはまことに不甲斐無いんですけど、全然私は多作ができないほうなんで、俳句研究賞を出す時も、50句出すところを100句も作らなかったと思うんです。本当はもっとたくさん作って、精選したほうがいいと思うんですけど、まだ世界が狭いもんですから(笑)。そこはこれから少し数も増やしていかなきゃいけないなとは思ってます。
あと、これからどういう句が作りたいか、なかなか言葉にするのが難しいところもあるんですけど、芭蕉の勉強を通して思ったのは、やはり俳句は時代に沿って変わっていかなきゃいけないと思っていて、できれば今生きている時代のことを積極的に詠んでいければと思います。
代表50句の中の、
死ねとすぐいふ子に秋の金魚かな
眠れざるこどもの数よ春の星
とかは、一応それをやってみたんですけど、あんまり評判がよくなかったので(笑)、さっき挙げていただいて嬉しかったです。
−これからの俳句ということにも関係してくるのかも知れないんですが、私は文語というのが、やはりとても違和感があるんですね。自分は文語世代ではないので、ですから文語表記で俳句を作るということにものすごく違和感が、あの外国語に近いというふうに思ったりして、ただそれをとても楽しんだり、ちょっとやってみたいということはありますけれども、実際に自分が作る時にはもう口語で、現代表記で作るというふうにしているんですけれども、お若い髙柳さんがそういうふうに文語で俳句を作られるという、そこの違和感とか抵抗感とか、それから発想する時にもう何か外国語で発想するような感じとかってないのかなとか。で、これからの俳句ってことを考える時に、文語と口語の関係とかって、どんなふうにお考えになっていらっしゃいますか。
髙柳:そうですね。あの非常に痛いところをつかれたという感じなんですけど(笑)。確かに、現代的な素材とかテーマを詠うときに、文語とかはすごく足枷になると思うんですけど、私はたぶんその足枷がないと一歩も動けないタイプだと思うんですよ。「自由に歩いていいよ」と言われても「じゃあ止まってる」と止まっちゃうタイプだと思うんで(笑)。逆に何かそういう古い足枷みたいなものを付けられると「じゃあ歩いてやるよ!」みたいなところがあって。だから、限界があるんでしょうけれど、あくまで現代性とは相反するそういう文語とか季語とかを引きずりながらできるだけ遠くに行きたいなというところがありますね。何か、言葉は悪いかも知れないですけど、邪魔なもの、妨げになるものとして、却ってそれを大切なものとして身のそばに置きたいなという感じがあります。そこらへんは作家それぞれのタイプの違いじゃないかなと思うんですね。
−昨日、句会でお話を伺っていて、僕個人として印象的だったのは、「虚子の流れを汲む」というところで俳句をやられているというお話で、僕は高野素十という作家がとても好きなので、僕の中では虚子というのは非常に多面的な要素を持っていることは十分に承知しつつ、やっぱり高野素十を重視した虚子というイメージがかなり強くて、あと秋桜子にしても「虚子に反旗を翻した秋桜子」というイメージがかなりあるんですよね。我々の目から見てしまうとなんでしょうけども、髙柳さんの御作、作られる句が我々から見て、必ずしも虚子の流れの中にある句という感じではないような気がしたもので、その点で昨日仰った「虚子の流れを汲む」という意味合いについて、たとえば岸本尚毅さんが「自分は虚子の流れを汲んでいる」と自負しておられるのとはたぶん意味合いが違うのかなという気もしますので、そのあたり伺えればと。
髙柳:正直なところ、私自身がまだ虚子の凄さ、奥深さをわかってはいないんだと思います。ただ、私が師事した晩年の湘子はすごく虚子という存在を意識していたところがありますので、その湘子を通して、こう虚子を突き付けられているような感じがするんですよね。それを自分がどう受け止めていくのか、そのことを含めて「虚子の流れを汲む」というような言い方をしてたんですけれど。だからすぐに「虚子みたいな句を作りたい」とか、そういった欲求が湧いてくるかというと、そうではないんですけれど、いずれそうなるのか、それともまた全く別の方向に行くのか、それはそれでどちらにせよ、虚子というものに対して自分が出した答えなんじゃないかなと思います。まだ答えが出てない状況だとは思うんですけれど。
−私が思うに、髙柳さんの作品って「デジタル的」な面白さがあるんじゃないかと。世界のコントロール感というか‥‥。そのあたりは意識して作られているんですか?
髙柳:そうですね、「デジタル的」と言われたのは初めてなんですけど‥‥(会場笑)。でも、あの何か「神の視点」みたいなことは自覚しているところもあって、一句を作る時に不確定な要素が入ってくるのは、たぶん自分では許せないんじゃないかなと思います。「全能感」という言葉を私よく使うんですけれども、全部を統括したいというのか、一句を仕立てる時に、やはりすみずみまで手が行き届いていてほしいなというところがあるんですね。で、逆にそれがたぶん私の今の作品を狭めている原因にもなっている(笑)というふうに自覚もしているものですから、その全能感をどういうふうに突き抜けていくのかっていうところ、それが今後の課題になっていくのかな、と思います。
宮崎:髙柳さん、長時間に渡り、どうもありがとうございました!(会場大拍手)。
金子兜太HP 秩父俳句道場2010/11
http://kanekotohta.jp/201011titibu.html
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