2010年12月25日土曜日

鷗へ―山中葛子の作品世界 ・・・田中亜美

鷗へ―山中葛子の作品世界
・・・田中亜美



鳥はほとんど完全な球形である。(ジュール・ミシュレ)
世界は広大だ。だがそれはわれわれのなかでは海のように深い。(リルケ) 





晴れ渡った或る日、かもめを見に千葉の海へ出かけた。
テトラポッドの先には穏やかな海がひろがる。その上を、かもめが数羽旋回している。
まるく、すんぐりと。
かもめは白っぽい陽のひかりと一体化したと思うと、あっという間に波へと着地する。
飛翔と落下のその循環を見ているうちに、私は山中葛子さんのことを思い出していた。
山中さんの句には、かもめがしばしば登場する。

鷗伏す骨まであおくむせ来る潮
つぶやき寄る鷗異郷に手足もぎれ
白壁の街に売らんと鷗鳴かす
脚閉じるいちばん保護的なかもめ

かもめは、海と陸のあいだを芒洋とさすらう鳥である。孤心の象徴のような、そのくせ、愛嬌があって人なつこい鳥である。―山中葛子さんには、かもめの印象がある。

*   *   *

いま私の前には、昭和三十七年四月に刊行された「海程」の創刊号がある。海面を思わせる濃紺の表紙には、白抜きのゴシック文字でその題辞が記されている。創刊同人は三十人。そこに山中さんも名をつらねている。
創刊号の「二十代特集」に山中さんは「嫁ぐ」というタイトルで作品を寄せている。
そのうちの一句。

母が降るこの紺碧を嫁ぎゆく 

山中さんはこの時期に結婚しており、句はその経緯を反映している。「紺碧」は抽象化されたものいいであるが、海、おそらくはそれも彼女が生まれ育った千葉の海と思われる。千葉の海は、関東平野の南に湾入した東京湾から太平洋へといたるやわらかな海湾で、母性を感じさせるものである。その紺碧の上へ、太陽の光がカーテンのように降りそそぐのだ。
白っぽいその光は、まるで花嫁を覆うヴェールのようであり、娘を送り出す母性の慈愛と一体化する。
昭和三十七年。このとき彼女は、生活者として夫のあたらしい姓に切り替わりつつ、表現者としては旧姓を手放すことなく、「海程」に参加を決めている。しかもそこには、「嫁ぐ」というタイトルの一連の作品を発表して。旧姓使用にはもちろん、それまでにも創作活動をしていたという事情があるだろう。だが、彼女の選択にはどこか象徴的な意味がこめられているようだ。すなわち、ここで敢えて「嫁ぐ」ということがらを前景化させた作品群を提出したことは、これから表現者と生活者の二重性を止揚しながら、生きてゆくことの覚悟も意味しているのではないだろうか。
当時の「海程」はというと、現代俳句協会の分裂、金子兜太と中村草田男の論争という劇的な背景のなかに生まれ、「俳壇波荒きときの出航」(金子兜太)であり、「火山の噴出のやうに新しいものが生まれでる奔騰」(加藤楸邨)のなかにあった。「前衛俳句の梁山伯」などと形容するといかにもものものしいが、そこには未知の表現領域を開拓しようという息吹が満ち溢れていたことだろう。―<まだ見ぬ一句>へ向けて。
翻って、こんにち「前衛俳句」ということをめぐる評価には否定的見解も多い。しかし、俳句形式に数多の素材や表現が盛り込めるのか否かということのみきわめも含めて、前衛俳句がさまざまな文学的手法の実験をおこない、俳句の表現領域を拡大させたことの意義は、もっと問われるべきだ。しかも、それは「前衛俳句とは何か」という固定した定義を急ぐ巨視的なまなざしではなく、その流動的なプロセスのひとつひとつに、精緻に目を向ける必要がある。「前衛」(アバンギャルド)の醍醐味は、つねに自らのその先をめざし続ける運動性、その奔騰のプロセスにこそ、求められるべきなのである。
山中葛子さんの俳句を読むことの面白さは、その作風の流動的な変化を辿ることにある。彼女は決して論争を好むタイプではないが、それだけに作品そのものにこのプロセスへの問いかけやこだわりがつよく滲んでいる。また彼女は、「海程」創刊当時の数少ない女性同人のひとりである。まもなく参加を表明した北原志満子氏や八木三日女氏、あるいは金子皆子氏らとともに、当時は圧倒的に少数派だった「前衛」の意識を共有する女性俳人(創刊当時の女性俳人は三十人中二人)が、そのあと俳句を通して、どのように表現をおこなってきたのかという問題には、非常に興味深いものがある。
以下では主として、時間の流れに沿った通時的アプローチをおこなうことで、山中さんの作品を読み解きたい。





山中さんは昭和十二年生まれ。十代の終わりより句作をはじめて、ほぼ十年間隔で句集を刊行している。このため、本論ではだいたい十代から二十代、三十代、四十・五十代、六十代に区分して、それぞれの作品の特徴を論じてゆく。
第一句集『魚の流れ』(昭和四十一年)は、少女時代から、結婚して妻となり、子の母となるまでの作品を集めたもの。青春の息吹と清冽な叙情にあふれた句集である。

野に伏せば風の樹液がこぼれ出す
野に白し十字架指に覚めつづく

ともに「野」を題材にした作品である。初期の山中さんの作品の多くがそうであるように季語は使われていない。だがここには、初夏や初秋といった季節のあけそめ、そのエッセンスが、ぎゅっと詰まっている。風へ光へ。少女は息切らせながら駆けてゆき、一気に倒れこむ。野という場処。それは世界の重力というものを、いまだ知らぬ少女の象徴なのではないだろうか。
また、「画家の卵」を夢見ていた少女らしく、美術の素養を感じさせる、シュルレアリスティックな句も多い。

髪をわたそう北斗へねむっている階段
花売りの港は白い歯でねむる

第一句に表現されているのは、引きずり込まれるような深い眠り。今まさに梳っているのだろう黒髪が、そのまま北斗七星のかがやく暗やみに溶融してゆく、その幻視が描かれている。これに対し第二句は白昼夢ともいうべき浅い眠りの空間である。花売りの売る花であふれる波止場の光景は、どこか非日常、異次元の時空の様相を呈しているようでもある。それゆえ、白い歯の感触には、ある種の不安や危機感も籠もる。
幻覚ないし幻惑。
さてその山中さんの作風は、二十代半ばから少しずつ変化をくわえるようになる。変化は、感性の流れの表現から、自意識による客体化・抽象化の傾向が、じょじょに見られることと言い換えてもよい。
このことは端的には、婚約・結婚を経て、出産へといたる生身の彼女のあゆみと対応しているだろう。少女時代には、やわらかな感受と感傷がそのまま<私>の輪郭線であるようだった。しかしながら、その少女がやがて「妻」となり「母」となる過程においては、<私>はたんに自分自身というだけでは済まされないようになるのであるから。
<私>は相手との二者関係のなかに置かれた存在であることを、よりつよく意識させられるようになる。

私の憂いなぞ青年ちらばり葉を挘る
あなたの街絵筆すばやい叫びとなる

私と青年、あなた(と私)ということは、おそらく男女の微妙な情愛をしめしているのだろう。第一句。憂愁にしずむ私のことなど、男は意にも介さず、無邪気に葉を挘っている。「青年」という言い方からは、石膏のような肌をした、端整なマスクの若者が想像できるようだ。それだけに「挘る」という行為が何となく獣性を帯びて、あらあらしい。「青年」と私のあいだのその心理的距離が、いっそう「憂い」を深めるのである。
第二句では、<私>は「あなたの街」にいて、絵筆を握っている。「あなた」は現実に特定できる何者でもなく、「街」も固有の地名を持つものではない。というより、「あなたの街」とは、<私>の絵筆から、<私>の切羽つまるようなその筆触から、描き出されることで、はじめて生まれる架空の場なのだ。だとしたら、他者であるはずの「あなた」も結局は、この<私>の自意識のなかに収斂されてしまうものだろう。
いささか突飛かもしれないが、この句からは失踪した恋人/婚約者を求めてひたすらさまようという、倉橋由美子の抽象的な小説『暗い旅』が連想されるようだ。それは、<あなた>と呼びかける<私>へと、最終的には回帰する<旅>の物語であった。
倉橋由美子は、当時の山中さんの愛読書であったらしい。しかし、ここには倉橋由美子と山中葛子という二人の小説家/俳人のあいだの影響関係というよりは、当時のある種の女性が、リアルタイムで共有していた感性の土壌のようなものが、感じられるのである。





山中さんの第一句集『魚の流れ』は、青春の息吹に満ちあふれた清新な作風が特徴だったが、つぎの『縄の叙景』(昭和五十三年)は、この青春をいかに克服して成熟してゆくのかということを、問いかける句集である。
山中さんの「青春」。それは風のような、水のような、澄んだ透明な感性の発露ということに尽きると思う。だが、感性というものを、ふかく潜らせてゆくいとなみは、やがて、その先に必然的に、心理の翳りや自意識の屈折というものに、つきあたらざるをえなくなる。ましてや、妻として、母として、生活と格闘する現実のなかでは。
感性は、世界の重力に無関心ではいられなくなるのだ。
そうした意味で『縄の叙景』には、重々しく、観念的な印象がある。感性のほとんど酷使といってもよい鋭敏さが、観念的な作風を生んでいるのである。
感性と観念の奇妙な融合は、次のような句でより明確なイメージをともなっている。

低い夜のリラ木質のくねる再会
ロープ巻きあげ陰植物の朝よふたたび
児の驚き海は烏と鉛の太鼓
その槍はいつか私を弾のように

これらの句にいずれも共通するのは、メランコリックな重力というものだ。第一句と第二句には、「くねる」「巻きあげ」といった、まとわり絡みつくような動詞がもちいられているが、そこには自意識にとらわれ、おのれの内面に沈潜してゆくときの鬱勃とした力動感が、表現されているようである。「夜」、「朝」の違いはあるものの、いずれも雲が低く垂れ込め、どこか息苦しいような時空であることにはちがいない。
リラに淡いメランコリーを感じることはわりとあるものの、この句は「木質」に焦点をあてていることといい、かなり独特な感受である。まるで、ねっとりとした油彩絵の具をパレットナイフで塗りこめたかのような印象だ。「陰植物」の句にはそれに、グレイの重々しさも加わる。
第三句と第四句に共通するのは、にぶい光沢を帯びた鉱物の質感だろう。第三句の母と児が見ているのは、悪天候の日の、灰白色の海である。浪が高く荒れた様子が、「太鼓」で表現されている。ここでは「驚き」の主体は、「児」ではあるが、「児」というファクターを通しているからこそ、母親本人の微妙な心理も、垣間見えてくる。
これに対して第四句の方は、自分のやや危機的な心理意識を、直截なレトリックで表現している。内へ内へと遡行してゆく、ふかくひきずり込むような自意識の力動性。
それはいったんベクトルを転じるならば、鋭利な槍の先端にも、弾丸の疾駆にも変容するのだろう。
ところで縄という漢字は会意文字であり、爬虫類のとかげのような長いなわを意味するという。作品にはとかげこそ登場しないものの、「蛇」のモチーフが何度となく繰り返される。そもそも地面に置かれた一條の縄は、蛇に見えなくもない。
「縄」という道具が、自意識をより合わせていく重力の作用面を強調しているとするならば、「蛇」が象徴するのは、自意識をひきつけて離さぬ引力、とりわけその身体的感受である。

白蛇の部屋なめらかにストロー挿し
白藤の蛇だいたんに留守の家

同じ時期の作品には、「妻」「嫁」などの語もしばしば見受けられる。二児の母であり、会社勤めも家事もこなしていたという生活の多忙さがこうした措辞に繋がっているのだろうが、私はむしろ、これらの「蛇」のモチーフの句の方に、のがれることのできない、女性にとっての生活というものの重さを思う。大きな蛇がその家の守護神であるという民話や言い伝えはよく耳にするものだが、山中さんの作品に登場する蛇もまた、家に居ることが多い。それはしかし、言い伝えの蛇と同じように、けっしてその場を離れられないというある種の哀しみも背負っているようだ。
蛇の映像の暗示力。もちろん、それは女性をしばりつける父性的な家(イエ)やその桎梏の象徴とするのはただしいのだろうし、そこから女性を解放すべきであるという社会的・フェミニズム的な議論をひきだすことはたやすいだろう。だが、同時に、そうした引力に抗いがたく支配されるということには、どこかやすらぎにも似た甘美な感触がのこされているようだ。そもそも家族というもの、家庭というもの、それは、女たちが産みつづけはぐくみつづけてきたその循環に淵源を持つものであるから。それが「なめらかにストローを挿す」という措辞と通じるような柔らかな日常の感受へと繋がってゆく。「白藤の蛇」からは、そうした家を「だいたん」にも留守にすることのかるい興奮、どことなく華やいだ気持ちまで、感じられるようだ。
「縄」であり、「蛇」であるようなメランコリー。それは、『縄の叙景』に付した山中さん自身のあとがきのなかに、よくしめされている。『縄の叙景』という題名は、自意識のこの自縄自縛の感触に由来するのである。
「流れ、流されることが一つの意志であるとすれば、こうした意志とか意識の中で、私はいつも0(ゼロ)の風景を想いつづけて来たようである。0の意味は、私の中では「無」と同じで、「無」にはプラスへの発光とマイナスの下降をじんじん溜めている源の姿があり、0の字面には婉婉と自己を味いつづける、おのれの尾に咬みついた蛇状の自縛がゆれ、0の感触には割れやすい卵のすべすべした不安のたかまりがあり、出発への想いがある」(「あとがき」より)。
このあと、0の地点は、どのような変容を、遂げるのだろうか。





『縄の叙景』を経て山中さんの作風には、変化が兆してくる。鬱滞するメランコリー(それはしばしば晦渋さにつながる)はじょじょにほぐされ、やわらかい自己表現につながっていくようだ。むろんそこには、疾風怒濤の時代からおちつきをとりもどしていく生活上の事情も反映されているにちがいない。だが、そこにはそれ以上に、ことばの「表現」をどのように結実させるかという精神のはたらきがつよく認められるだろう。金子兜太がいうところの「自己と対象とのあいだの直接的結合を切り離し、そのあいだに結合者として定置する」、「創る自分」という意識が感じられるのである。
「創る自分」。それは一方で潔癖なまでに自己に執着しながらも、他方ではそうした自分を突き放してみせるイロニーの精神の作用といってよい。

山羊の背ナぽおんと抜けて昼の妻
雲噛みおり母情ぽんぽん蒸気船
ぼうぼうのへいへいぼうなる青葉木菟
はぐれ鴨けえけえと照りしゃがむかな

「ぽおん」「ぽんぽん」には懐かしい叙情のひびきが、「ぼうぼうのへいへいぼう」「けえけえ」には読み手をくすぐるような滑稽の味わいがある。なかでも「けえけえ」には、からっとした気風のよさがあり、それが続く「しゃがむ」という動作のナイーブさとふしぎな対照をなしている。
オノマトペ(ここでは擬音語だけでなく、擬態語もふくんだものと考える)を用いた作品をあげたのはほかでもない。オノマトペはそれ自身が何の意味を持たないからこそ、作り手から読み手の知覚、身体感覚に直にはたらきかけることができるからである。それは自己表出にこだわるあまりに、意味のみが先鋭化して自己閉鎖的にならざるをえない、いわゆる「難解俳句」の隘路に対する、強力な突破口となるだろう。
オノマトペを得意とする作家はそう珍しくはない。だが、以前はほとんどこうした技法を使わなかった山中さんが、ある時期からその卓越した使い手となるのは、前衛俳句が問い続けてきた「造型」という問題を考える上で、注目に価することだと思う。
オノマトペをはじめとする、言葉にともなう音楽的要素の自覚。それはまた、作品を構成する質料(マチエール)としての言葉のもつ可能性へと意識を転じてゆくことである。

魚の網やぶれだす光線状ともだち
ピアノの少年だんだんつよくピラニア

第一句は、水中にある魚網の網目を、光が通過してゆくさまを描いている。実際には魚の網目は破れているわけではない。大気中では透明な陽光のプリズムが、水のなかへ射し込むやいなや、可視の「光線」となり網目を通り過ぎる、その運動が「やぶれだす」かのような錯覚を与えるのだ。ここで表現のかなめは「光線状ともだち」にある。そこには、水と光が織りなす一瞬のゆらめきを、魚のように、体全体で受けとめている作者の感応があり、弾むような共鳴がある。その共鳴を客観的に詩語に定着させようとするとき、「ともだち」の語は、動かない。
第二句では、似て非なる「ピアノ」「ピラニア」の語をぶつける。ばかばかしい言葉あそびのようだが、いっしんに鍵盤を叩きつづける少年の姿を想像すると、ピラニアという形容以外に無いような気もしてくる。ほっそりとして残虐な、淡水に棲む魚は、いかにもピアノを弾く少年にふさわしい。
ところで、質料としてのことば、そのひとつひとつの手ざわりをたしかめることは、ことばから構成されてゆく、仮構/虚構の世界を生み出すことにも繋がろう。俳句に限らず、芸術は虚構の世界に遊ぶはよく言われることではある。だが、ともすればそれは、際限なくつづけられる空想上の遊戯というだけで終息しかねない。この堂々巡りに、ひとつの「開け」(ハイデガー)をもたらすものがあるとすれば、それは「実」の、すなわち、実存の世界にほかならないだろう。「開け」はまた、一句のなかの「虚」と「実」を架橋する「切れ」でもある。私見では、「虚実皮膜」とは、このことの消息をあらわしているように、思われる。
それでは、「虚」というだけでもなく、「実」だけでもない、両者が背中合わせの「皮膜」を、ことばに定着するためには、具体的にはどのような「造型」が可能であるのだろうか。山中さんは、「虚」と「実」を同時にその構成要素にする、オリジナルの「造語」によって、問いに対するひとつの答えをしめしている。

青葉天井ふるえて鳩の傷声よ
抱擁樹海しずかに灯る芽のランプ

ここで言う「造語」とは、「青葉天井」と「抱擁樹海」を指す。空高くそびえる梢はおおきく弧をえがいており、その球面を初夏の青葉が覆うさまが、「青葉天井」と呼ばれている。
「抱擁樹海」はうっすら霧がかった樹海の様子をあらわしているのだろう。やわらかく視界がさえぎられることで、作者はいっそう樹海のふかさを感じている。そこに春の芽吹きのうすみどり色が、ぼんやり灯るのである。
これらは、いってみれば不自然な組み立ての四文字熟語であるにもかかわらず、読み手に不思議な実感をのこす。その理由のひとつは「天井」、「抱擁」というやや抽象化されたものいいが、「青葉」「樹海」という具象的なものと組み合わされているということにある。だが、それ以上に成功の決めてとなっているのは、これらの句がともに七・七・五音と俳句定型の韻律をふまえつつ、ややずらされて書かれていることではないか。七音ではじまるおもったるい歌い出しは、この作品のやや観念的な作風とひびきあい、観念に不思議な肉感をあたえている。
つまり、ここで「実」をもたらしているのは、「具象」(そこにはむろん「青葉」「芽」の語が有する季感も含まれよう)であり、さらには音数や韻律といった伝統的な俳句の効果でもあるのだ。しかし、その「実」も、観念的な「虚」の操作、異化の作用があるからこそ、きわだたされる。ここには、いわゆる「前衛俳句」と伝統的な俳句のエッセンスの融合、それらが持つ新しい可能性がぶつかりあったときの一期一会の妙が見出されるようだ。
山中さんは、句集『球』(平成六年)のあとがきのなかで、「無限という憧憬は、実はまだ見ぬ私の一句に向かうことを願いのプロセスへの拘りということになるかもしれない」と述べている。そして『球』は、その一呼吸に過ぎない、とも。「そしてこの時間はそのまま肉体と結びつくものであり、まぬがれようもなく一回性のものである」と書いている。
この「一回性」こそ、俳人・山中葛子の到達した、ひとつの自在の地点なのである。





句集『水時計』(平成十五年)は、山中さんの最近の句集である。山中さんは、今なお「まだ見たことのない私自身の俳句の途上」にあるという。その境地は、はればれとしているようだ。
晴れやかさは、口語調のやわらかい言葉遣いにもみとめられる。

春の雲鯰を自由にしてあげよう
十六夜の月こんがりと赤ちゃん
さようなら眉より細い春の月
神島やしずかなお月さま飛ばす 
すかんぽ発の自意識過剰を抱きこんだ

ここには「自由」になった鯰といっしょに、ふうっと深呼吸をしたり、「あらあら」と赤ちゃんに呼びかける姿がある。自意識過剰は「すかんぽ」のせいなのよ、とおどける山中さんがいる。この諧謔味は、「すかんぽ」という植物名の、どこか人を食ったような脱力した語感からしか生じないものだ。
同じように植物名を生かした作品。

突然日暮れ家じゅうツルウメモドキ
黄花しょうぶしずかな正義感透る

季語/季題というものが、一般によくある「赤い実」「名も無い花」式の表現に終わらせず、仔細に植物名を挙げること、「ツルウメモドキ」といい、「黄花しょうぶ」ときちんと分類すること。そこには、太古に初めて、その花の名を「蔓梅擬き」、「黄花菖蒲」と名づけた人の感受や感動をきめこまかく追体験することの重要性が、籠められているだろう。
ひとがひとの命名を行うように、どんな草花の名前であれ、そこには必ず、その草花に出会い、名前を付けずには居られなかった、ひとの思いが潜んでいるからである。
ことばの語感を生かすとは、「命名」という出会いの瞬間への畏敬がなければ、成立しないだろう。
多くの草木が枯れはてる晩秋にあって、ひときわ赤く輝く実を持つ植物に出会い「ツルウメモドキ」と命名した古人の思いのなかには、「突然日暮れ」のように、ぱっと視界が変わることへの驚異がふくまれていたはずである。あるいは、梅雨どきの水べりにあって、花茎をまっすぐ直立させながら咲く花のすがたには、ひとがその胸に秘める純な思いに通じる時空が感じられることだろう。
「黄花」と限定し、平仮名書きにした「しょうぶ」のS音ではじまる静謐な韻律をひびかせることには、ことばそのものが持つ、出会いの瞬間の神秘を、逆照射してみせるふしぎな力がある。いっけん知的な言葉の操作に思われるこれらの句はしかし、きわめて注意ぶかい、鋭敏な感性の賜物なのである。
山中さんはもともと、感性のひとであり、いまも一貫して感性のひとである。それは、息を切らせながら野を駆け抜けた<野に伏せば風の樹液がこぼれ出す>のときから、ずっと続いており、さまざまなヴァリアントを見せながらも、いまなお、<旅>の途上にあるのだ。
<まだ見ぬ一句>へ。

ちどりちどり利根川ふっと海に入る

千葉の風土にはぐくまれ、今なおこの地にすむ、山中さんそのもののような句。三百キロメートル余りにわたって関東平野を流れるこの川は、最後に太平洋にそそぐ。川をわたる風は、いつのまにか潮風に変わる。川はいよいよゆったりその幅を増し、いつのまにか海に合流する。あくまで自然体で、「ふっと」。
水面を旋回するのは、きっと、無数のかもめだ。
かもめは、ふたたび、海のみちのりを飛んでゆく。

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1 件のコメント:

  1.  少し遅れたコメントです。
     実は最初に読んだときにコメントしたかったのですが、それだと「全く分からない」の一言になってしまうので、「俳句樹」などを読んで少し勉強していました。
     いま読み直したのですが、「母が降るこの紺碧を嫁ぎゆく」の解説を読んで、今度は「分かった」感じがしたのでコメントします。
     まず「母が降る」が分からなかった。雨や雪ではあるまいし。今回は「(前略)母性を感じさせるものである。その紺碧の上へ、太陽の光がカーテンのように降りそそぐのだ。」のくだりで分かった、と思ったわけです。こういう比喩に抵抗を感じないというか、積極的に使うのが「海程」だ。こう思ったのが勉強の成果だったのかもしれません。
     しかし、まだまだです。この句以降の解説はまだ分かりません。それと、冒頭にある
      鳥はほとんど完全な球形である。(ジュール・ミシュレ)
      世界は広大だ。だがそれはわれわれのなかでは海のように深い。(リルケ) 
    で何を表そうとしているのか。詩の文句の一部だと思うが、意味を考えると分からない。と言って何かの象徴、比喩、と考えようとしても思い浮かばない。
    詩は、散文のように言葉の意味、理屈で考えてはダメ、と言われるかもしれないが、それでは、どうすれば分かるようになるか。
     「海程」の人はきっと「ホトトギス」が分かる。「ホトトギス」の人(私ですが)は「海程」が分からない、何とも不公平な感じがしています。
    この不公平をなくすためのヒントを求めています。

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