2010年12月24日金曜日

海程ディープ/兜太インパクト -6- 金子兜太 本能の戦略 ・・・大髙宏允

海程ディープ/兜太インパクト -6-
金子兜太 本能の戦略
・・・大髙宏允



ある日孫娘が「サッカー選手の○○○○が今日保育園に来たんだよ」と言った。10年前の私が現代俳句について知っていることは、五歳の孫のサッカー程度のものであった。
ひょんなことから、私が現代俳句の世界に足を踏み入れることになったのは、テレビのリモコン操作を間違ったからである。放送大学の画面が出て、そこに兜太が現われた。ほんの数十秒で画面に引き込まれた。話は妙にして真、人柄豪にして柔、波動すこぶる快。すぐさま録画を開始した。日本にまだこんな日本人がいてくれたのか、とまずその存在感に心打たれた。むかし、小沢征爾を初めて聞いたとき、彼自身の体から音楽が湧き出していたが、まさしく兜太の体から俳句が溢れ出していた。
俳句について無知な自分は、とくに定形・季語に縛られないという自由な発想に共鳴した。「自由です」と言う兜太の声は、なんと魅力的であったことか。今まで私が思っていた「俳句」や「美意識」をあっさり飛び越えていた。
それから一年位した頃であろうか。悪性リンパ腫がみつかり、入院が決まった時、自分でもよくわからないが、「ああそうだ、あの先生のところで俳句をやろう」と思いついた。冥土の土産のつもりだったかもしれぬ。無謀であった。
最初の「海程」が届いたのは、01年11月号で、病室のベッドの上で開いた。ばらばらと目を通すと、ぜんぶ訳のわからない作品ばかりである。「これじゃあ俺には無理だ」と思った。
だが会費を六ヶ月分払っている。
あれからもう九年だ。みえない力と師の教えに導かれて俳句の日々を楽しんでいる。
はじめの頃に読んだ「金子兜太集」と、安西篤の「金子兜太」は、右も左もわからない自分にはたいへん勉強になった。

つぎに先生の作品で特に好きなものをあげてみたい。

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく

粉屋が哭く山を駆けおりてきた俺に

二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

今日までのジュゴン明日は虎ふぐのわれか

飛翔する想像力と自由でピュアーな精神性、そして独特の韻律のすばらしさ。カフカ、カスタネダ、ワイエス、エルグレコ、道元などの作品に接した時と同じような感動を覚えた。俳句について無知無縁だった自分に、このような感動が訪れてくれたことをありがたいと思う。そして俳句を学ぶことの奥深さは、停年と病気をほとんど同時に体験した自分にとって、何かの啓示のようにも感じている。

さて、先生の選句眼のすごさは、誰しもが認めるところであるが、句会という場で直接体験すると、一撃を食らったようなショックと不思議な感動の波を感じないではいられない。自分の句が全く駄目でも、「今日は来てよかった」と真実思うことしばしばである。ここでは、そんな中から三句だけ紹介する。

ロボットになれず満月になれず 小野裕三

(かげ)のコマンドよ青啄木鳥は撃つな 高橋たねを

似顔絵のマスクのほかの暗きこと 佐藤美紀絵

師に採られると、その一句はいっぺんに輝き出す。埋没していた石が、宝石であることがわかる。まるでマジックを見るようだ。「選句の時は、恋人の手紙を見るような気持です」 これはある年の最初の句会での、先生のことばである。ひとつひとつ、そんなに深くあたたかい気持で見ているのである。

一方、私は海程のご高齢な人たちの活躍にいつも注目してきた。高齢化ということもあるが、その人たちの句が師に採られることが多く、その感覚の新鮮さに驚かされる。

夜がそこへきて生きもののように月 清水喜美子

飛花に牛流域太古のように澄み 市原光子

春は曙昨日と今日を切り離す 白川温子

穴惑い耳掻きの届かざる点 酒井郁郎

これはほんの一例だが、師の眼はこうした作品を決して見逃さない。よその畑で取れない作物が取れるのは、他に類をみない師の選句眼があるからである。これらの作品は、師の眼力という土壌で育てられたのだ。この師と弟子の作り上げてきた関係で、特徴的なものを、「ていねい感覚」と呼びたい。自然の中でていねいに自然を見つめ、自己を見つめ、社会を見つめる。一事が万事、「ていねい」というありようで貫かれている。その感覚を俳句という表現形式に投影する。この一連のシンクロナイズから生まれるものが、「ていねいな生活実感の句」である。
「ていねい感覚」は、日本の風土が日本人の心に、何千年にもわたって植え付けてきたものだろうが、戦後の日本はその美質をほとんど失うような歩みを続けてきた。その美質が、師と高齢同人にはある。衰えるどころか、勢いよく燃えている。師の言う「生々しい句」は、この「ていねい感覚」から生まれる。今この九年を振り返ると、「ていねい感覚」は、俳句の上でも、生き方の上でも師から学んだ一番の財産だと思う。それがこの頃、やっと分かった。

病院に入院されあと、初めて出て来られた十月の句会で、「まあ見ていてください」と師は我々に語った。不屈の精神である。心身への周到な知恵と情熱。それが目指しているものは何か。かって原初の人間がふつうに享受していたアニミズム的祝祭。俳句という場には、おなじ位相がある。生きもの同士が争わない世界。大いなる生を楽しみ、全とうする世界。それは金子兜太という人の本能の戦略だと思う。

酒止めようかどの本能と遊ぼうか 兜太

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