2010年12月25日土曜日

豊里友行の「沖縄便り」(7) 「私らしい俳句と写真の旅」 ・・・豊里友行

豊里友行の「沖縄便り」(7)
「私らしい俳句と写真の旅」
・・・豊里友行



私は俳句の世界を旅する。
私は18歳から30歳まで「天荒」俳句会で日々俳句を研鑽(けんさん)してきた。
そこでは野ざらし延男氏による優れた俳句教育のもと俳句を学ぶ(これまでに野ざらし延男氏の行く先々の教育現場から優れた学生俳句が誕生している!)
「いつか」と言っているといつになるか分からないので、「月と太陽(ティダ)」俳句会を二〇〇六年二月二十五日に旗揚(豊里友行 代表)げした。
私は自分らしい俳句と写真の世界をめざし、創造していくため、十数年在籍した天荒俳句会を退会する。
その日から私は俳句人生の武者修行の旅に出た。
「月と太陽(ティダ)」俳句会は小さな俳句の座で、主に小中高生への俳句指導を行っている。
あとは少数の有志や豊里一族による生涯学習としての俳句創作だ。
小さな俳句の場だが俳句を楽しんでもらい俳句によって生き甲斐をもってもらえたらと願う。
「月と太陽(ティダ)」俳句会として俳句指導するには私は日々勉強しなくてはならない。
「月と太陽(ティダ)」俳句会以外では私自身も俳句を暗中模索している。
その暗中模索振りを記してみたい。

俳句の武者修行の旅をしていると他の俳人先輩から佐藤鬼房先生のお言葉を引用しながら励ましのお手紙を頂く。
「一握りの人たちが先端の岩盤を少し穿つ、その犠牲の上に俳壇全体がズルリと少し前進する」
私は生きた証として俳句を時代に残せるようになりたい。
そのために自分らしい俳句を探求し続ける。
俳句も写真も出会いが財産になっている。

俳句界へ出てくる方法としては何か悩んだ時期がある。
俳句大会では上位入選するしかない(これはかなり大変なことだ)。
もしくは俳句集を出す(お金と作品の質がいる。そろそろ私は第2句集を出したい)。
新聞俳壇に投句するのもいい。
他の俳句会にも参加してみる。
以前「天荒」俳句会に所属している時、金子兜太先生を招いて俳句会が持たれた。
その時、金子兜太先生の天地人の地賞を私は戴いた(「梅が咲くそこに銀河の圧縮音  友行」)。
その時の的確な講評が印象的で金子兜太先生の「海程」俳句会に投句参加する。
この「海程」では、私の句が毎月俳誌に3句載る。
「海程」俳句会へも都合がいい時に参加したい。
「海程」は、いろいろな俳人たちが切磋琢磨しお互いに日々俳句を研鑽する俳句の場がある俳句同人誌だ。
特に俳誌の活字になることは記録性においても大変重要なことだ。
(盗作問題などに巻き込まれた時は、印刷媒体に先に載っているか周知の俳句に敬意を表するのが慣わしなであるから自己の俳句を常に印刷媒体に記録するよう心がけたほうがいいと私は思う。)

インターネットのブログで継続して俳句を発表して俳句の場を持つのもいい。
人の目にもさらされ批評の目に耐える。
気軽に自分の俳句を発表する場をもてるのがいい。
「週刊俳句」や現代俳句協会のインターネット俳句会、『俳句界』の「め~る一行詩」なども活気があって刺激をもらえて良いと思う。
この「俳句樹」も多くの俳人の俳句創作の現場を活気付ける場になることを望む。
もしかしたら多くの批評の目にさらされるインターネットのブログ俳句が、これから大きな俳句界の主軸になるかもしれない。
価値ある俳句はどこからでも出てきていいのだ。
私は自己の俳句の世界をブログ「とよチャンネル」から切り開いている。
いろんな意味で俳句はメモ帳と鉛筆ぐらいのお金でできるものだということをこれからも実践していきたい。
もっとも大事なのはしっかりよい俳句を作るための努力を惜しまないことだ。
昔の俳人が小さな俳句の場から俳句問答を通して良い俳句を創ったのを私は軽視できない。
だから「月と太陽(ティダ)」俳句会でもそれぞれの自分らしさを追求する小さな俳句の場を持つよう心がけている。

俳人で写真家の豊里友行は、人生の武者修行の旅のまっただ中であります。
もちろん特に沖縄を飛び出して旅に出るわけでもない。
写真は沖縄をテーマに撮り続ける。
俳句も写真もどちらも沖縄の日常を旅している。
生まれ育ったこの島を撮り続け、これからもずっと撮り続けるだろう。
この沖縄をどう詠い、どう撮るか胸踊る。
私は世界中を旅する冒険家にはなれないが沖縄から世界へ発信する旅をしていく。
私はそんな旅をする覚悟をしている。
生まれ育った沖縄に私は誇りを持ちたい。
だから時に厳しい沖縄への批判にもなる。
それでも理想郷・ニライカナイを求めた祖先の琉球人たちのように海の向こうに希望の灯火を燈したい。
私は「ニライカナイの地図」を追い求めていくうちに自己の立ち居地である沖縄に、それぞれの安住の地にこそ、理想郷のニライカナイが散りばめられているように思えてならない。
それは利潤追求主義とはちがうし、資本主義社会などとも違う何か。
私は写真を撮る行為をニライカナイの地図を見るように拾い集めている。
何が見えてくるかこれからが楽しみだ。
これからも俳句も写真も私なりの武者修行の旅が続く。

インターネットの地球を回す水澄まし    友行

まばゆい太陽に花びらのサングラスをかけるシーサー


3 件のコメント:

  1. 野ざらし延男氏の行く先々の学校現場で多くの秀句が生まれていますね。
    豊里友行さんもまた野ざらし延男門下の「天荒」の主力メンバーでしたね。
    野ざらし延男氏の俳句の指針からどうやって自分らしさを発芽させるか楽しみです。
    やはり写真家として行動されている体験を活かされたほうがよいと思います。
    蛇足まで。

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  2. 『俳句界』の「め~る一行詩」8月の俳句界賞(特選)受賞
    は、豊里友行さんでしたね。
    驚いたのはその句が未定91号の招待席で進化していました。

    モーレ
    踊れ
    モーレ
    踊れ 苦瓜蔓が風掴む
    モーレ
    踊れ


    多行詩形の分野も開拓されていて頭が下がります。

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  3. 東京の大城さま
    野ざらし延男氏には確固たる俳句指導方針があります。
    私は高校生活3年間空手道に励んでいて武道場に掲げられた「守破離」とは・・・。

    「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身につけることをいう。
    「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行し、自らの境地を見つけることをいう。
    「離」とは、それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地をいう。
     修行をする上で、心・技・気の進むべき各段階を示した教えといえる。
    [参照]全日本剣道連盟居合道学科試験出題模範解答例、月刊剣道日本編集部

    そういえば武道場は剣道部と空手部で使用していた。
    空手ではなく剣道のおしえだったか(笑)
    ですが、この言葉に感じ入ること私には大きかった。
    野ざらし延男先生の教えから学びながら自己の表現の開花を目指す。そこから写真家で俳人としての豊里友行の自己表現を目指すため「月と太陽(ティダ)」俳句会を立ち上げる。野ざらし延男氏の俳句の教えから多大な影響をうける。金子兜太先生の「海程」で修練を積みつむ。自身の俳句道を求道するため道なき道を歩む。
    まだまだ俳句を勉強中です。
    これからもよろしくお願い致します。




    名嘉さま
    『バーコードの森』豊里友行句集の「ひたひたぐいぐい」に続き、第2句集でも多行詩形を載せるため第2次未定にて招待席にて修行させて頂いています。
    多行詩形についても今後「沖縄便り」で触れたいと思います。
    今後ともよろしくお願い致します。

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