■詩歌梁山泊第1回シンポジウムと『超新撰21』饗宴シンポジウムと
・・・筑紫磐井
詩歌梁山泊~三詩型交流企画(代表森川雅美)がはじまることになり、その第1回シンポジウムが「宛名、機会詩、自然」をテーマに10月16日(土)午後、日本出版クラブ会館で行われることになった。打ち合わせ会を、野村喜和夫さんや、若い詩人、歌人を含めて集まって、そこで予行演習をしてみた結果がこの「宛名、機会詩、自然」であった。あまりここで具体的に述べてしまうと来客数に影響するので差し控えるが、3ジャンル共通のきっかけになりそうなのがこの3語であった。例えば、俳人は自然と言えば当然のごとく季語を思い浮かべるが、自然の代替語として季語で語っているのは相当なずれがあるかもしれない。「現代詩手帖」の特集等を読むと、季語が代替しえるのはカッコ付きの「自然」とすれば、もう一度共通言語を探さねばならないだろう。
いずれにしても、短歌・俳句・自由詩の交流と言うこの機会に、ジャンルの衰退、作者や読者の減少、若手への期待のような傷をなめ合う会話はしたくない、シンポジウムであればそこで話し合われた内容が、それぞれのジャンルへ持ち帰ったとき、新しい運動がおこるための契機となってくれるような話題に絞りたいと思って提案した具体的な話題がこの3つのフレーズでつながることになったものである。
かつて拙著にいろいろご指導いただいた人類学者川田順造氏は、氏の独特の方法論で三角測量という考え方を提案している。川田氏の場合は、日本、フランス、アフリカという三つの地点を設定され、ここからから文化や民族を観察し解釈するとき2項対立とは全く違う思考が生まれる。
平成21年正岡子規国際俳句賞スウェーデン賞を受けた李御寧氏(イオリョン、韓国初代文化大臣)も、その記念講演で、土居健郎『「甘え」の構造』などの多くの日本人論が、米国と日本、英国と日本などの2国比較から論じられているが故の誤りを指摘し、『「縮み」志向の日本人』を執筆した経緯を明らかにしていた。
いままで、俳句―詩、俳句―短歌、俳句―川柳の断片談判で考えられて来た俳句論を少し見直してみる。日本、フランス、アフリカほど異質な、短歌、俳句、自由詩の視点から、「詩歌」という単一理念を3点測量することは魅力的であると思う。
3ジャンルがいかに異なるかがわかったとき、三詩型は何を共有できるのかもはじめてわかってくるであろう。特に面白いのは、今回は若手のシンポジウムを先にやり、やや年齢を加えた作家たちは、若手のシンポジウムを聞いたうえで論議することになるから、最後の話題は予測がつかない方向に展開するかもしれない。
そうした結論を踏まえて、さらに12月23日(木・祝日/アルカディア市ヶ谷)に予定している『超新撰21』饗宴シンポジウム(仮称)の議論につなげて行けたらばいい、と思っている。『超新撰21』は『新撰21』に比較してもさらにジャンルを越境してゆく方向を目指しているからである。川柳、自由律などの広範な分野を視野に入れて、より刺激的な選集ともなり、シンポジウムになることを期待している。そういえば巷間、韓流イケメンユニット、「超新星」がデビューしたそうだ。来年は「超」の時代かもしれない。
(参考)http://siikaryouzanpaku.digi2.jp/
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