遷子ミステリーツアー パート2
・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
【前書き】「―俳句空間―豈weekly」で68回にわたって続けた「遷子を読む」を整理して単行本としようとする企画を進めている。インターネットを使ったこともない人たちのために、この共同研究をもとにした遷子読本を提供としようというものである。世の中に何人いるか分からない遷子俳句ファンのための出版であるから、自分たちだけでもおおいに盛り上がろうと言う趣旨で、「遷子を読む」の卒業旅行を、小諸日盛俳句会の直前にぶつけるちゃっかりした企画を行った。便乗させて頂いた、本井英氏に感謝する。
昨年既に、そのパート1を実施しているので今回はパート2となる。今年は「遷子を読む」研究メンバー全員参加の大イベントとなった。昨年分に続けて読んで頂ければ分かりやすいと思う。
8月1日、8時半からの日盛俳句会の受付を小諸コミュニティホールで済ませ、地元の仲寒蝉氏と島田牙城氏の車で出発しました。日盛俳句会の受付をすませたしなだしん氏が急きょ一行に参加することとなりました。その前に、日盛俳句会に併せて行われた全国俳誌展・俳書古書市をちょっとのぞきます。「里」「都市」「豈」がそれぞれ話題になっていて、いい気分です。
小諸から三十分ほど車を駆って、相馬医院につくと現院長智彦先生が待っていて下さいました。往時の思い出をうかがいますが、祖父(遷子)が開業しているころは父(昭彦先生)と一緒に松本で暮らしていて、五歳頃祖父はなくなってしまったので何も知らないんですといわれます。それでも写真を借用し、いくつかの貴重な情報をいただきました。
(相馬家系図。豊三-┬富雄(遷子)[相馬医院]--昭彦--智彦
■ └愛次郎[相馬北医院]----光弘
遷子の父豊三氏は店を開業していましたが、これを親族に譲渡し東京に出てきてしまいます。遷子の身内に医師はいません。しかし、豊三氏は人徳があった人らしく多くの人の世話をする中で土地を入手することとなり、それが遷子が戦後開業するにあたり役に立ったと言われています(父君は昭和45年逝去。「雪降るや経文不明ありがたし」)。
最初の相馬医院は現在の佐久甲州街道に面した野沢本町の大ケヤキ前にあり、現在は呉服店のやなぎだ本社(野沢41)となっています。一方、遷子の生活をした家は病院の近傍に別にありましたが、この家も現在は柳田清二佐久市長の自宅となっています。往事は青田に囲まれた医院であったのでしょう(「患者来ず四周稲刈る音きこゆ」)。遷子没後、相馬医院は少し離れた野沢田町の現位置に移転しています(野沢194-7)。なお遷子の弟の愛次郎先生は、当初相馬医院で兄を助けて働いていましたが、やがて独立して相馬北医院を開業します。これも近傍にあります(野沢258-2)。
昨年に引き続き、金台寺を訪れます。8月1日の墓参りの供花がいっぱいに供えられています。すでに昨年書いたとおり、寛保2年8月1日に大洪水が襲い以来この地方ではこの日に墓参りが慣例になっているのです。改めて確認すると相馬家の墓の家紋は九曜星であり、相馬の馬追で有名な相馬(中村)藩も九曜星ですから遠祖はそちらであるかもしれません。相馬家は現在宗家が取り仕切っているわけではなく、それぞれがお墓や墓碑を管理しており、昨年遷子の名前が墓碑に載っていなかったのも、別家が墓碑を建てたためであったようです。昨年想像したように、特に遷子が名前を刻まないように指示したと言うことではなかったらしいです。家型の大きな墓の内部はもちろん覗けませんでしたが、別の場所でたまたま或る家族が同じ形の墓の扉を開いているのを見かけました。内部には棚がしつらえてあって、奥に遺骨、手前に位牌が並べられていました。相馬家の墓も似たようなものだろうと思われます。
時間の都合もあり、今回は遷子が最後を迎えた佐久総合病院を訪れます。地域医療のメッカとしてNHKでも特別番組で紹介されたことがある病院です、この初代院長若月俊一はアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞しています。千曲川沿いの大きな病院であり、新館もありますが古い病舎は遷子が入院したときのままだそうです。七階の廊下から北を望むと、手前には相馬医院のある野沢、遠く浅間山が見えます。千曲川がその間を縫い、遷子の最後の句集名『山河』はこの窓辺の風景そのままといっていいようです。
その後中央図書館に行き、遷子文庫を眺めました。遷子の蔵書にしては思ったより少なかったですがたぶん閉架に入っているのでしょう、図書館の人は後日調べてみると言ってくれました。何しろもう35年前のことですから知る人もいなくなってしまったのです。ただ、星座の本やお金儲けの本が置いてあるのはほほえましくありました。遷子が晩年のために購入していた本とはどれだったでしょうか(「暮の町老後に読まむ書をもとむ」)。「遷子を読む」の読者にはその意味がよく分かるでしょう。近くで昼食に安養寺ラーメン(信州みその元祖と言われる安養寺みそを使ったラーメン)を食べて、一路、日盛俳句祭に直行します。昨年と違うのは、いい先達に案内をしてもらったおかげで、ミステリーが増えるのではなく、解決していったことです。
このミステリーツアーは、中西夕紀、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井が前日から集いこの地にゆかりの深い荻原井泉水、種田山頭火にちなむ佐久の名勝も廻ったのですが、遷子ミステリーツアーなので今回は省かせて頂きます。機会があれば記録したいと思います。ミステリーツアー前日の夜は、当日午前中に川口リリアで講演会をこなした原雅子氏が、風邪薬の飲み過ぎでふらふらしながら到着合流。佐久ホテル(井泉水と縁の深いホテルであり、玄関前には井泉水の句碑もあります。昨年の記事参照。部屋は、井泉水の間、山頭火の間と名前が付いていますが、虚子の間はありません。我々は一茶の間で宴会です)で島田牙城氏をまじえて、「遷子を読む」単行本の編集会議、その後、その成功を祈って饗宴をしました。途中から、翌日の小諸の日盛俳句祭の世話人、本井英氏が乱入し、趣旨のよくわからない会で大いに盛り上がりました。帰りは、関東勢は岩村田駅から小海線に乗ってごとごとと小諸へ。小諸グランドキャッスルホテルで爆睡。原、島田氏は日盛俳句会不参加。(文責筑紫)
ミステリーツアー吟詠
どの水も千曲に注ぎ青田波 中西夕紀
三伏の石柱高く廓址
苧(からむし)に露結びをり観世音
見せ合へる棗も梨も青きかな
草刈の固く結べる口と会ふ
よしきりや佐久の平の水勁し 原 雅子
旅のつづきに不意打ちの揚羽蝶
山の冷えつのりてきたる鮎の串
草ひばり手で開けて乗る小海線
ひらけば地図に霧の流れて山国は
虹立ちて小諸の水のうまさかな 深谷義紀
旅人に涼しき風と褒められて
川風や鮎釣る竿の煌めきぬ
ここよりは北国街道合歓咲けり
炎昼やペンキのはげし丸ポスト
芳名の失せてゆくなり油照 仲 寒蝉
百日紅いくつも過ぎてふるさとへ
鮎釣のたまさか動くとき光る
炎昼をつらぬく橋の長きこと
火の山も麓の町も昼寝かな
街道の涼しき樟の太さかな しなだしん
わが影を足す楼門の片かげり
香魚釣る腰を千曲川(ちくま)の瀬にさらし
静止して浅間を越ゆる鮎の竿
翳を得ておはぐろとんぼ透きとほる
八月一日供花にあふるるちくま沿ひ 筑紫磐井
蝉しぐれ信濃の域は自由律
小海線ごとごとゆれて青田駅
誰もいふ信濃の暑させいろそば
ふるまひのトマトの野趣に雨襲ひ
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遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
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