■海程ディープ/兜太インパクト -4-
海までの距離
・・・小川楓子
手元に一冊の雑誌がある。「海程」2007年4月号、何度も読み返したせいで雑誌の角が少しめくれ、折り癖が付いている。わたしは、この雑誌に出会って俳句を始めた。
2007年の春、何気なく手にしたのが「海程」だった。美術展の帰り道、特に何を探すともなくふらりと古書店をのぞくと、俳句・短歌結社誌コーナーがあった。短歌を少しやっていたので、まずは短歌の結社誌をいくつかめくってみた。ふと一番上の棚にあった「現代俳句 海程」と書かれた背表紙に目が止まった。俳句という未知なる世界にわくわくしてきた。つま先立ちになり手を伸ばしたが届かない。近くにあった台に載ってようやく冊子を手にした。表紙をめくると東国抄208金子兜太とある。
涙について眼科医語る妙な熱気 金子兜太
金子兜太という名前はぼんやり知っていたが、金子兜太の俳句を目にするのは初めてだった。(不勉強でごめんなさい。)「あれ、俳句って5・7・5じゃなかったっけ?!それにしても妙な熱気って…うふ。」最初に目に飛び込んできた句から、なんだかとても人間くさくて、言葉が丸裸で、ふつふつとおかしい。更に読者を納得させてしまう妙な怪力。最初のページでこの雑誌にぐいっと引き込まれた。次のページには海原集。
冬の木に木馬衝突してこまる 阿部完市
困ると言われると、わたしも困るような、困らないような。冬の木になんで木馬が衝突するのだろう。よくわからないから、句を口の中でぶつぶつ唱えてみる。うん。楽しい。
成木責憶良を読んでおじいさん 武田伸一
おじいさん…おじいさんって作者?!誰?と思いつつ、なんだかこのおじいさん愛嬌があり、どことなくゆかしく土のにおいがして、句の中で座りがよい。東京例会の二次会の席で後に、武田氏に教えてもらった、
色鳥来じいさんばあさんぱりっとす 武田伸一
(耳で聞いただけなので、すみません、表記は不明です。)も秋が来ると毎年思い出す。そして、口ずさむとなんだかほっとする。
更に読み進むと《座談会》特集/林田紀音夫Ⅱ いま、林田紀音夫を読み直す『林田紀音夫全句集』があった。
いつか星空屈葬の他は許されず
骨の手を垂らして花のさくら見る
これらの句を含む一連の、硬質でありながら叙情的な文体に厳しい境涯を垣間見たように思う。わたしたちの世代ではあまり見かけることのない、全力の句姿をかえって新鮮に感じた。座談会の、司会・堀之内長一/小野裕三、田中亜美、水野真由美、宮崎斗士、柳生正名の発言もそれぞれ興味深い。この時はまだ、俳句を始めようという決心がつかなかったが、いつか「海程」の冊子の中の人たちに実際に会いたいと思った。
その年の秋、わたしは、思いがけず半年余りの療養生活を送った。その間にこの一冊の「海程」を繰り返し読んだ。ふたたび春が来て初夏となり病は癒えた。いのちとはあやうく、限りあるものだと思った。会いたい人たちには会えるときに会おう、そう強く思った。
そして、2008年7月の東京例会(金子兜太出席)に初めて作った俳句を投句した。わたしがこの時、そして今でも驚き感謝しているのは、金子兜太が句会終了後、最後の一人まで残って話し相手をしてくれることである。句歴が長くても短くても、同じように気さくに、今日の句のことや最近の健康のことを楽しく話し(ここでも笑い声が絶えない)別れの挨拶をして帰ることができる。そして、この91歳の俳人に明日から生きていく元気をもらう。
わたしは、ごく最近の金子兜太についてしか語ることができないのだが、わたしの知っている金子兜太は、誉めて育てる人のように思う。句会の最中、句について気持ちのいいほど鮮やかにけなしたとしても、帰り際に一言、二言、話をすると必ず「いやあ、面白かった。大いにやってください。大いに。」と言う。また、武田編集長を始め「海程」の誌上で知っていて、会いたいと思っていた人たちも、突然ひょっこり現れたわたしを本当に温かく迎え入れてくれた。
しかし、あと一人、阿部完市には会うことができずにいた。2008年の秋、なんとなくweb検索をしていると東京ポエトリー・フェスティバルというイベントを見つけた。阿部完市がここで朗読をするらしい。これは行かなくてはと早速申し込んだ。午前の部の朗読が終わったあと、会場を後にする阿部氏の背中に、思い切って声をかけた。(この時の勇気は今でも不思議に思う。)最近の健康状態が思わしくなく、句会に参加できないことや息子さんの話など、とても短い時間だったが話すことができた。最後に「これから楽しみにしていますよ。」と独特の静かな調子で励ましの言葉を受けて別れた。阿部氏との会話は、これが最初で最後となった。
更に、入会前は想像していなかった出会いもあった。
観音菩薩非力の深い夏が来て
空っぽで向日葵で明日も目覚める 谷佳紀
谷佳紀とは、初めての東京例会の二次会で出会った。谷氏は、独特の感覚により生まれる句と安易に他者に迎合しない鋭い批評を併せ持つ、神奈川の大先輩である。ある日の句会のこと。自分の句に、納得がいかないと思いつつ句会を終えると、氏に「今日の句はひどいね~」とさっぱりと明るく声をかけられた。そんな氏の言葉は、真っ直ぐで温かいので「よし、がんばろう」という気になる。わたしの父より7歳年上の氏は、ウルトラマラソンに毎年参加するスーパーランナーでもある。ひそかにインディーズ系ランナーとわたしは呼んでいる。『気骨の人―谷佳紀論』をいつか書いてみたいと思う。「全然わかってないねえ。」と氏に感想を嬉しそうに言われるのが、今から楽しみでしかたない。インディーズ系ゆえこれ以上書くと怒られそうなので、この辺りでおしまいにする。
入会の翌冬、「海程」を見つけた古書店を訪ねてみると、俳句・短歌結社誌コーナーは撤去されていた。わたしはかつてのコーナーの前にしばらく茫然として立っていた。あの時「海程」を何気なく手にとっていなかったら、わたしは俳句をしていなかっただろう。そう思うと感慨深かった。鼻がつーんとして目頭が熱くなってきた。俳句の神様はどこかにいるのかもしれないと思った。暖かい冬の日だった。
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私も楓子さんが初めて例会に現れた日の事は良く覚えています。その時の句も。
返信削除七夕やハチ公きつと渋谷だな
「あれっ?こんなタッチの人が例会にいたかしら」と思いながらその新鮮さをいただきました。その後私の覚え違いで「きつと」がなぜか「今ごろ」に変わってしまって、私のハチ公はいろいろな街を放浪しています。
あれからずっと近くで見ている訳ですが、改めて楓子さんの視線で語られると懐かしいです。特に阿部完市氏とのくだりは「ほわっと見えてもやる時はやるな」とその行動力には感心していました。あの時「ファンですと言えた勇気は、次の世代からのメッセージとして阿部先生にも(カルチャーで学んでいたのでこう呼ばせて下さい)こころ暖かく伝わった事と信じます。
私が最後にお会いした日の阿部先生の「これからは君達の頑張る時代だよ」とおっしゃった言葉がしみじみと思いだされます。
内輪誉めと言われそうですが、選んだ例句がみんな面白くて、みんな楓子さんらしかったです。なお正確な表記については
色鳥来爺さん婆さんぱりっとす
私も好きな句です。では「超新撰21」の百句を楽しみに待っています。
色鳥来爺さん婆さんぱりっとす
返信削除す、すみません編集長。確かに漢字だと味があります。
愛子さん、ご指摘&あたたかいコメントありがとうございます。
阿部完市さんと句会がしたかったです。