金子兜太と今井聖
・・・山下つばさ
自分の中へ深く潜り、底のあたりで見つけたものを手に取り、浮上する。浮上して戻ってきたときに、手にしているものを描写する。私にとってはこの描写が俳句になる。2010年夏、私はひとつの決意をした。真摯な態度で俳句を作っていこうと。それまでの私は、自分の中から沸き起こる感情をそのまま俳句へ転換していた。こうやって作ったものは、果たして本当に俳句と呼べるものなのだろうか。Twitterで呟いていることと、何か明確な違いがあるのだろうか。孤独を恐れ、孤独になることから逃げている。そんな自分を見つけた。これにはきっかけがある。『超新撰21』への公募で落選した。予選すら通過しなかった。必死に俳句をやっていると自負していたので、自信があった。でも駄目だった。最初は選者を罵り、落選という結果を人のせいにした。しかしとことん虚しくなり、自分を省みた。そして私は自分自身の俳句的態度を改めることにした。私には二人の師がいる。「海程」の金子兜太、「街」の今井聖。この二人は私の生まれる以前から真摯に俳句を作っている。2010年夏、猛暑の中、私はやっと二人の師と同じ方向を見つめ始めた。
ところで、なぜ私には二人の師が必要なのか。これにはちゃんとした理由がある。
視覚的感覚に優れているのは「街」の今井先生。対象を目で捉え、そこに自己を反映するやり方だ。新しい視点を追い求めることで、自己を更新しようとする。こういった方法で作られる俳句は即物的で、そんな師の下に集って行われる「街」句会は、いつも「もの」で溢れている。
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シャンデリアへ椅子ごと聖夜の母運ぶ 小久保佳世子
枯葦刈るエンジン回転二割上げ 半沢登喜恵
あくびからあくびの妖怪初山河 柴田千晶
逃げ道を照らす寒夜の工事灯 田中圭
成田用羽田用空夕霞 さたあきこ
連翹の高さに水上バスの波 尾上恵子
ロボットの胸を開けば都市おぼろ 西澤みず季
春寒し電子ブックに方丈記 鈴木比呂子
超音波に九ミリの孫朧月 川島謙一
死に遠きセーラー服の衣更 森山いほこ
爆音で天気占ふメロン畑 金丸和代
緑陰を走るケーキのやうな靴 西村邑
軒に燕スカジャンの背に金の鷲 今井聖
それは横須賀のどぶ板通りにある。てらてらとした青い生地の上に、金の糸で刺繍された鷲。店頭に掲げられたスカジャンだ。いつの日か誰かに買われ、その人の背中で羽ばたく。いや、決して飛ぶことのできない二次元の鷲。一方、店の軒先に巣を作り、そこを生活の拠点としている燕。こちらは三次元。三次元と二次元、黒い燕と金の鷲、重層的な対比が面白い。それから何となく、この句から哀愁を感じるのだが、多分「スカジャン」が時代遅れだからなのだろう。燕は季節が変わればこの街を出てゆく。しかしスカジャンの鷲は、もう10年以上も前からここに掲げられていて、この先もずっとここに居続けるしかない。ちょっとしたセンチメンタル。
(句はすべて『街』2010年4月号、6月号、8月号からの引用)
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2006年秋、知人に連れられて初めて参加した「街」の句会で、私はきらきらした「もの」たちと出会った。ここには意欲的に「もの」を自己へ取り込もうとしている人たちがたくさんいる。貪欲といえるほどの勢いがある。私は力強いエネルギーに吸い込まれるようにして、「街」への投句を開始した。2007年春のことである。
「海程」の句会に初めて参加したのは2007年秋のこと。既に「街」の視覚重視傾向に疑問を持ち始めていた私は、金子先生に解決の糸口を求めようとしていた。と、後から思えばこうなのだが、頭で「海程」句会に参加する理由を考えるよりも先に、動物的嗅覚が金子先生の匂いを求めていた。私は「もの」を絶対的存在として捉えようとする視覚よりも、相対的に捉えようとする嗅覚、聴覚、味覚、触覚が優位にはたらく体質なのである。
私とあなたが同じ空間にいるとする。そして、目の前には林檎がある。視覚で捉えた林檎の存在は絶対である。私もあなたも間違いなく林檎の存在を認める。しかし、この林檎に手を伸ばし、触れたときに感じる「硬い」とか「軟らかい」という感覚は「○○よりも硬い」とか「○○よりも軟らかい」と相対的な話になる。そして、更に、この○○の部分は、個人の経験値によって導き出されるものであって、私とあなたとでは異なるものを当てはめるかもしれない。つまりは私と林檎の関係だけでなく、私とあなたの間にも相対的な関係が結ばれる。私は目の前に林檎があったら、視覚でその林檎の存在を認めるよりも先に、嗅覚や触覚でその存在を認識するタイプなのだ。そして、あなたのことも。
私は俳句を始める以前から、金子先生の匂いを感じていた。それは朝日新聞で毎週見かける「金子兜太」の文字。ここからは無視することのできない匂いが放たれていた。
金子先生の参加される東京例会には、毎回100人近くの人が集まる。出句は1句のみ。みんな本気(マジ)だ。
東京例会の句会報はこちら。
http://kanekotohta.jp/kaitei%20reikai.html
「きらきらのコンプレックス春の泥」これはある日の東京例会に出した私の句である。この句が金子先生の入選句として読み上げられたとき、私の中に今まで感じることのなかった感覚が目覚めた。ともすれば、何を言っているのかさっぱり分からないであろう句。ものすごくぎりぎりなことをやったこういう句で、年齢が違う、性別が違う、育った環境がまるで違う、そんな私と金子先生が同じ空間で同じ景色を見た。言葉にすると大変陳腐で、ものすごく切なくなるが、この句を思うといつでも体が熱くなる。たぶん、受精した。
「海程」では生殖活動と同等のことが起こっている。自らが卵子や精子になって海へとダイブする。目的は明確。より強靭な生命体を生み出すためである。私が新聞の文字から嗅ぎ取っていた匂いは、新しい生命が生まれる現場へとつながっていた。2008年春、自分の動物的嗅覚を確固たる自信につなげ、「海程」への投句を開始した。
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鳥の巣やふと手のひらの水たまり 伊藤淳子
春のからだ無畏の軌道を描きをり 上原祥子
川上へ翔ぶ鷹白髪増えたな 瀬戸密
逝く夫の灯があかぎれのように痛い 浜芳女
持ち帰る湖の木片雛の家 日高玲
わらび煮てまた山へゆく女ども 佐考石画
日本狭しカーネーションのセロハン解く 瀧村道子
早き瀬に自分確かめ春の終り 遠山郁好
おぼろですが道まっすぐに水の地平 中村加津彦
ほら穴は暗算のよう花吹雪 渡部陽子
おとうとは河童の頭象の尻 大西政司
くちなはと人売られゆく晩夏かな 田中亜美
山百合群落はげしく匂いわが軽薄 金子兜太
「無言館にて(五句)」から最後の一句。山百合に嗅覚を刺激され、出てきた言葉が「わが軽薄」。決して謙遜なんかではない。山百合に迫られたのだ。「山百合群落はげしく匂い」と畳み掛けるような表現から、山百合の勢いが伝わる。迫られて迫られて、ぽろっと出てきた言葉。これは多分、普段は口に出さないだけで、「わが軽薄」という思いは常に持っていたのだ。それを表に引き出したのは山百合だった。それから無言館の存在も大きく起因しているのだろう。
(句はすべて『海程』2010年7月号、8・9月号、10月号からの引用)
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あれから2年。私の受精した卵子はどうなっただろうか。子宮に着床し、栄養をもらいながら細胞分裂を繰り返し、無事に産み落とされただろうか。いや、多分とっくの昔に成長を止めて、死滅してしまった。「海程」という名の子宮は広く、深く、そして暗い。ぼやぼやしていると「ことば」の波が押し寄せて来て、あっという間に飲み込まれてしまう。「ことば」に溺れないように、しっかりと目を見開いておく必要がある。
金子兜太はエネルギーを外へ放出し、今井聖はエネルギーを内へ引き寄せる。やり方は異なる二人だが、どちらも力強いエネルギーを扱う点に、私は共通項を見出している。「海程」は自己の内側にあるものを外側へ放出する。「街」は自己の外側にあるものを内側へ引き寄せる。そして、私は自己の内側と外側のエネルギーが拮抗するところを目指して俳句を作る。2010年夏の決意である。
柳生さんの文章はプロとはいえ、勉強不足の私にも分かりやすくて丁寧でした。山下さんのは悩んでいても若くて元気、度胸がいいですね。「街」の句稿を拝見しました。「海程」の句群の中にあっても全く違和感がありません。その逆はどうかなと思いを巡らせました。
返信削除「兜太の文字から~」のくだりを読むとまず「活字」と言う「視覚」から「匂い」を感じたのですから、五感を分けして論ずるのは強引です。金子主宰は「(例えば自然のなかで)五感を研ぎ澄ませて集中していると(物)がシュールに変化してくることがある」と作句方法のひとつを披露してくれました。ずいぶんと前の事です。今は感性や諸々の体験を含む、生きてきた「からだ」全部で作っているように見受けられます。「無言館」の句の鑑賞からは「真摯な態度で作句していこう」という意気込みが感じられます。
「きらきらのコンプレックス春の泥」は、最近の逡巡を見ていると自画像としての実感があり、いい句だなと思っています。最後に「かいてい」という「音」からの「海底」「子宮」「受精」など一連の連想ゲームは、私との体質の差を感じました。私のような女は(たぶん男性も)妙に生々しい言葉だけが突出していて困惑してしまいます。
山下さんは落ちても、墜ちても飛び立とうとするつばさであって欲しいです。
芹沢様
返信削除拙文に素敵なコメントをありがとうございます。言葉足らずのところがかなりあるなあと反省しています。この文章を書き終えた今は、五感で感知した結果として「何を言語化していくのか」について考えています。見たり触ったりした「もの」のその先にある「もの」。それを自らの方法で言語化していきたいなあと考えています。二人の師を参考にして。